航空事故(読み)こうくうじこ(その他表記)air accident

改訂新版 世界大百科事典 「航空事故」の意味・わかりやすい解説

航空事故 (こうくうじこ)
air accident

国連のICAO(イカオ)(国際民間航空機関)は,航空事故の定義を〈飛行する意図をもって人が航空機に乗り込んだときから降りるまでの間に人の死亡,重傷,または航空機の実質的損害が発生した場合〉と規定し,その具体的範囲として,滑走中または飛行中の操縦不能,翼端またはエンジン被覆筒の接地,胴体着陸,脚下げ着水,脚の破損,脚の不時引込み,落下着陸,機首接地,転覆,滑走路外への接地,オーバーラン,地表・水面・山岳への衝突,地上物件・鳥・動物または他の航空機との衝突,機体構造の破壊,エンジンまたはプロペラの脱落,火災・爆発,予防着陸,不時着陸,プロペラまたはジェットの後流による被害,プロペラまたは回転翼による人の死傷,飛行中の人の傷害などをあげている。これに対応して,日本では航空法ならびに同施行規則が航空事故の範囲を,(1)墜落,衝突,火災,(2)航空機による人の死傷,または物件の損壊,(3)機内にある者の死亡,または行方不明,(4)他の航空機との接触,(5)転覆,覆没,倒立,爆発,胴体着陸,(6)飛行中のエンジン,脚,プロペラ,回転翼の破壊・脱落・機能喪失,(7)翼端・エンジン被覆筒・尾部の接地,(8)オーバーラン,地上旋転,滑走路手前への接地,落下着陸,滑走路からの逸脱,(9)飛行中の航空機への落雷,および,(10)前各号に掲げる事故に準ずる航空機に関する事故,と規定している。以上はいずれも民間航空機の運航について定められたものであるが,軍用航空機にも同様に適用しうる。

航空機の事故によって人が死亡した世界最初の例は,1785年6月15日にフランスのピラートル・ド・ロジエPilâtre de Rozierらが気球によるイギリス海峡横断を企てた際,空中爆発を起こして墜落した事故といわれている。空気より重い航空機では,1896年8月9日にドイツのベルリン近郊においてグライダーで飛行中墜落したO.リリエンタールの事件(重傷,翌日死亡)で,また,飛行機事故としては,1908年9月17日にアメリカ陸軍フォート・マイヤー基地で発生したライト・フライヤー型機の墜落(操縦のO. ライト負傷,同乗のT. セルフリッジ中尉死亡)が最初であった。ちなみに日本最初の死亡事故は,13年3月28日に所沢で発生した陸軍ブレリオ機の空中分解による墜落事故である(木村鈴四郎,徳田金二両中尉が死亡)。

 飛行が文字どおり冒険的行為であった揺籃(ようらん)期にはもちろんのこと,飛行船や飛行機が実用時代に入った後も,性能を向上させることに性急なあまり安全性の改善はさほど顧慮されなかったので,相変わらず大小の事故が頻発し,30年代においてさえ航空機はなお他の交通機関に比べてかなり危険度の高い乗物であった。飛行船は相次ぐ事故によって40年までには顧みられることのない存在となり,その後航空機の主流は飛行機,ヘリコプターへと移っていったが,安全の問題が航空界の大きな命題としてクローズアップされ,行政・技術両面で真摯(しんし)な取組みが始まったのは40年代後半以降であったといってよい。すなわち,第2次世界大戦によって長足の進歩を遂げた航空技術の一部が,安全対策の面にも応用されて急速に効果を発揮し始めたのである。同時に,戦後の航空旅客の飛躍的な増加に伴って安全を求める社会的要求も高まり,施設や制度の改善とあいまって事故はしだいに減少し始めた。そして現在ではその安全性は少なくとも自動車よりはるかに高い水準に達している。ちなみに近年の世界民間公共用輸送機の事故発生数は年間250~400件に達するが,そのうち死亡事故は30~50件,死者は800~1500人程度で,率にして飛行1億km当り0.2~0.4件,または飛行10万回当り0.2~0.3件にとどまっている。絶対数としては発生件数,死者数ともほぼ横ばい状態で推移しているものの,世界の航空交通量は年々増加しているので,相対的にみれば事故はかなりのペースで着実に減少しつつあるといえる。ただし,大型機の増加に伴って1事故当りの死傷者数のみは漸増の傾向にある。軍用機の事故発生率が民間機のそれより高いのは当然であるが,しかし,全体として安全性はやはり時代とともに向上しており,例えばアメリカでは陸軍航空隊の飛行10万時間当り大事故発生数が1922年には506件であったが,43年には64件に,また56年(空軍)には14.7件に減少し,近年は空・海軍ともに3~10件の水準を保っている。この傾向は他の主要各国でも同様である。

航空事故の原因は,一応,機械的要因,施設的要因,環境的要因,人的要因に大別されるが,単一の要因のみによって発生することは比較的まれで,多くは二つ以上の要因が複合して事故に発展する。

 機械的要因とは航空機の故障や不具合をいい,機体構造,エンジン,プロペラ,脚,ドア,計器など,および操縦,油圧,電気,燃料,与圧などの各系統の故障・破壊と,それに基づく脱落,破損,火災,操縦不能などを含む。これらの故障や破損には背後に人的要因の介在するものが多い。戦前においては設計,製造,整備の技術が未成熟であったため,この種の要因による事故,とくにエンジンの故障と空中火災が頻々と発生し,また戦後も,初めて民間用ジェット輸送機として登場したコメット与圧胴体の疲労破壊による連続墜落事故などがあったものの,最近では部品や組立ての精度および材質の改善によって信頼性が高まり,また,各種の検査技術,予防技術も発達したため,機械的要因に基づく事故は著しく減少した。装備機器,とくに電子自動機器が増えシステムが複雑化するにつれ故障の可能性もそれだけ増大するわけであるが,同型機器の重複装備や信頼性管理の徹底によって致命的事故への発展防止が図られている。概して機械的要因については投資しだいで対策が比較的容易であり,今後も減少が期待しうる。

 施設的要因とは空港の設備や各種航行援助機器等の故障,不備,不具合をいい,事故の直接原因となることは比較的少ないものの,間接要因としてしばしば関与する。とくに近年,航空機の運航体系の中に占める航行援助機器の比重が急速に高まり,かつ,運航システムとそれに対応する機器のメカニズムが複雑化するにつれて事故の潜在要因となる可能性が高まってきた。機械的要因の場合と同じく,これも人的要因のからんでいることが多い。

 環境的要因とは気象上の問題や動物との衝突などの自然的障害をいい,パイロットの発病なども含まれる。気象上のトラブルで最大のものは雨・雪・霧・もやなどによる視程不良で,ほかにひょうや落雷による機体損傷,氷結・突風・横風・乱気流による操縦困難,雨・雪・氷による滑走困難などもしばしば発生している。動物の問題ではジェットエンジンへの鳥の吸込み事故が目だち,また,乗員の発病では高年齢機長の心不全が多い。機械・施設的要因への対策が目覚ましい効果をあげているのに比し,環境的要因に基づく事故はさほど目だって減ってはいない。これは気象にせよ鳥にせよ対策が非常に困難で,現在のところ早期に発見してこれを避けることしか方法がないためで,将来とも急速な改善は期待しえない。

 人的要因とは航空機の開発,製造,運航,整備,地上支援などの業務に携わる人々の過誤をいう。製造・整備上の問題としては設計のミス,工程および検査の手抜かりなどがあり,また,乗員のエラーとしては高度・速度・位置・距離・燃料・空港状況・天候などについての誤認・誤判,操縦・操作手順の錯誤,見張り不十分,緊急事態への対処の誤りなどが,地上側では管制官の間隔錯覚,貨物および燃料搭載の不手際,除雪など空港管理上の手落ち,航空機誘導の過失などがあり,さらにきわめてまれではあるが飲酒などモラルに起因するものもある。事故が起こるとこれら現場要員の失態がまず指摘されるのが常であるが,その背後に企業の経営方針や労務管理上の問題,行政の姿勢および制度上の不備などが存在することも少なくない。現場要員の中ではやはりパイロットのエラーが事故の直接原因とされるケースが圧倒的に多い。他の交通機関のオペレーターと比較すると,航空機のパイロットははるかに厳重に訓練され綿密に管理される高度な専門技術者ではあるが,時々刻々変化する複雑な条件下で,しかもきわめて短時間のうちに的確な判断を迫られる航空機特有の環境のもとでは,ささいな過誤でも事故に結びつきやすい。ただし,事故の大部分はいくつかの要因が複合して起こっており,単純にパイロットの責任のみに帰しうるものはむしろ少ない。見方によれば不可抗力による事故というものはありえず,いかなる事故もいずれかの部分に大なり小なり人間の失策が介在しているともいい得るだけに,人的要因は事故原因のうちでもっとも深刻なものである。これを減少させることは至難で,過去に行われてきた多種類の対策と膨大な投資にもかかわらず,人的要因に基づく事故はほとんど減っておらず,かえって機械的要因による事故の著減などに伴って相対的に顕在化してきた。

機械,施設,環境の各要因に対しては,安全基準の検討,運航・整備方式の改善,機器の精度・信頼性の向上,フェイルセーフ構造・重複装備・防消火・非常用設備・空中衝突防止などの事故予防技術の開発,空港・空路の航行援助施設の改良,気象予報技術および鳥駆除の研究などに努力がはらわれている。人的要因への対策はもっとも困難で,関係者に対する注意喚起や努力要請などの精神的対策は一時的な効果しかもたらさないため,物理的手段や制度の更改がより重要な方策となる。すなわち,機器の自動化,単純化,フールプルーフ化および各種警報器の装備推進,乗員の選別と労務・健康管理の強化,訓練方式および機器の改善,操縦室の改良,乗員間および乗員・管制官間の意志伝達の齟齬(そご)防止などが重視されている。人間のエラーを防ぐためシステムの中に人手の介在する余地を排除しようとする傾向に対しては批判もあるが,自動化による人的要因削減は着実な効果をみせており,今後いっそう自動化推進の方向をたどるものと考えられる。

 なお,事故予防策の一つとして,近年インシデントリポートincident report(異常報告)の活用が重視され始めている。これは乗員の問題を含め航空機の運航のあらゆる面で日常発生するトラブルを,大小にかかわらずそのつど乗員に報告させ対策を立てようとするもので,制度自体は主要各国でかなり以前から行われてきたが,場合によっては報告者自身,または第三者が不利益を受けるおそれがあるため報告が少なく,十分に機能していなかった。しかし,1970年代後半からアメリカやスウェーデンの民間航空当局は,このような報告者の懸念を一掃して積極的に報告させるため,報告先を直接の監督官庁から第三者機関(アメリカではNASA(ナサ))に変更することによって著しい効果をあげるようになった。このように事故防止対策は徐々に進歩しつつあるが,反面,つねに論議の的になるのが投資の問題で,直接利益には結びつかないため,行政,企業ともに安全への投資には逡巡(しゆんじゆん)しがちであり,これが対策の進捗(しんちよく)をおくらせる結果となっていることが指摘されている。

他の事故と同じく航空事故の調査にも技術調査と犯罪調査の2種類がある。犯罪調査の目的が事故の責任の所在を明らかにし責任者を処罰することにあるのに対し,技術調査のほうは事故の真相を究明して同種事故の再発を防止することが唯一の目的であり,責任追及とはいっさい関係がない。現在のところ,日本では関係者に過失があった場合,その過失の内容いかんにかかわらずすべて刑事訴追の対象とするたてまえになっている。したがって,あらゆる航空事故について行政当局の行う技術調査と並行して司法当局による全面的な犯罪捜査が行われ,法(刑法,航空法および航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律など)に照らして過失が認定されると責任者が処罰されることが多い。さらにこの両調査の実施過程で双方の利害が対立し,その結果ややもすれば犯罪調査が優先され,技術調査の進行が阻害される例も少なくない。これに対して欧米の大部分の先進国では,一般に単純なエラーによる事故については,その結果のいかんにかかわらず事実上ほとんど刑事訴追は行われず,悪質な法令違反や重過失にあたるケースを除いて,技術調査と監督官庁,当事企業などによる調査のみが実施されるのがふつうである。刑事訴追のまれな理由は必ずしも明確ではないが,一つには事故の場合,当事者が行政罰(罰金,資格剝奪など),企業内罰(解雇,降格など),社会罰(マスコミなどによる非難)などの制裁を重ねて受けるため,必ずしもそのうえ刑事罰まで科さなくともよいという認識があることに加えて,刑事責任の立証が困難であるという理由にもよるようである。すなわち,多くの国々では,技術調査当局によって作成される調査報告書を裁判での責任追及の証拠として使うことが禁止されており,また,とくに連邦制の国では連邦法,州法の双方にまたがる関係もあって立証しにくい事情があるとされている。報告書の流用禁止は,もし関係者の証言が裁判で証拠として利用され,それによってその証言者が不利益を被るおそれがあるとなると,技術調査の際に正しい証言が得られなくなる可能性があり,事故の再発防止という目的が達せられないためであるが,この点でも日本には民間航空事故についてそのような禁止規定がなく,報告書は司法当局により鑑定資料として公然と利用されている。ただし,日本においても防衛庁のみは証言の秘密を守る趣旨から自衛隊機事故の調査報告書は厳重に秘匿(ひとく)しており,たとえ裁判所から提出の命令を受けてもいっさい応じない方針を貫いている。

 ところで,航空事故の技術調査は国際民間航空条約の規定に基づいて事故の発生した国の政府が行い,これに事故機の所属国および製造国の代表がオブザーバーの形で参加するのがふつうであるが,技術調査機能をもたない国の中には調査を先進国の機関に委託する例も見られる。先進各国にはそれぞれ常設の調査機関があり,日本では運輸省の航空事故調査委員会がこれを担当している。この種の機関で世界最大のものはアメリカのNTSB(National Transportation Safety Boardの略。運輸安全委員会)である。かつての事故調査は,事故機の残骸調査と関係者の証言聴取以外に手段がなく困難をきわめたが,1960年代以降フライトレコーダーおよびボイスレコーダーが実用化されたことにより,比較的正確かつ容易に事故時の状況を把握しうるようになって調査に革新的な変化がもたらされた。フライトレコーダーではさらにディジタル化されたものが普及して,いっそう高い精度と広範なデータが得られるようになった。

国際線を運航する航空機の事故によって発生した損害に対する賠償については国際間に取決めがある。まず,1929年のワルシャワ条約(114ヵ国が批准)で旅客の死亡については1人当りの支払限度額が12万5000フラン,手荷物の損害については1人当り5000フランと決められ,次いで55年のハーグ条約(98ヵ国が批准)で旅客の限度額が25万フランに引き上げられた。その後,66年に世界の主要航空会社間で結ばれたモントリオール協定によって旅客の限度額は再び7万5000ドルに増額され,これが先進国の標準となったが,81年になって日本航空と英国航空のみはさらにこれを10万SDRに引き上げた。しかし,海外諸国の航空会社の中にはモントリオール協定に加盟していないところも多いので,同じく航空事故による死傷とはいっても,搭乗していた航空機の所属いかんによって賠償額に大差が生じ,日本でも海外の事故で死傷した日本人旅客に提示される金額があまりにも低いため物議をかもす例がしばしばある。国内線ではそれぞれの国の事情に従って政府,または企業独自で限度額を決めている。従来,日本の国内線では死者1人当り2300万円,手荷物1人当り15万円であったが,82年4月以降,旅客に対する限度額は撤廃され(手荷物は従来どおりの額),その後国際線の乗客についても撤廃された。先進各国では被害者側が航空会社の提示する金額を不服として裁判に訴えるケースは少なくなく,欧米の高額所得者などの場合数百万ドルにのぼる賠償が宣告されることもまれではない。一方,航空事故によって地上の第三者に被害が生じた場合の賠償については,イギリス,ドイツ,イタリア各国のように法律の中に特別の規定をもうけている国もあるが,そのような規定のないところも多く,日本でも他の事故と同じように民法により処理されている。なお,外国機が他国の地上第三者に与えた被害に対する賠償については,1952年に締結されたローマ条約の規定があるが,日本はこれに加盟していない。日本の場合,地上に大規模な被害を生じたケースの大部分は駐留アメリカ軍機の墜落による(一部自衛隊機によるものもある)もので,ほとんどは防衛施設庁と被害者の交渉で解決しているが,まれに裁判にもち込まれるものもある。
国際民間航空条約
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「航空事故」の意味・わかりやすい解説

航空事故
こうくうじこ

航空機の墜落、衝突、火災および航空機からの落下物またはジェット噴流などによる人または物件の損傷をいう。航空機内における死亡などを含む。

[秋葉 明]

魔の11分

日本における民間航空事故は、毎年約20件発生しているが、ほとんどはヘリコプターないしは小型飛行機に関する事故である。これは写真撮影、測量、資材輸送、遊覧飛行を目的とした産業航空における航空事故である。さらに最近の傾向として日本でも盛んになりつつあるスポーツ航空における事故の発生がみられる。航空事故のなかでも社会的影響が大きいのは、定期民間航空機による事故である。安全輸送は航空企業の絶対的条件であり、航空事故の発生は多くの乗客、乗員、機体の損失だけではなく、企業の信頼性を喪失し、経営上大きなマイナスとなる。そのため細心の対策がとられている。しかし、進歩した航空技術、航行援助施設に支えられながらも航空事故はなくならない。世界の定期航空の死亡事故発生状況をみると、毎年20件以上も発生している。しかも航空機の大型化とともに、死亡者数はむしろ増加の兆しさえみせている。

 航空事故の発生しやすいのは、離陸後の3分間、着陸前の8分間といわれ、あわせて「魔の11分」とよばれている。今後予想される事故の発生形態として、航空機どうしによる空中における衝突事故が心配される。とくに輻輳(ふくそう)する航空路や飛行場周辺では、よりその危険性が高く、ときおりニア・ミス(異常接近)が発生している。

[秋葉 明]

日本の航空事故

第二次世界大戦後の日本における民間航空再開(1951)後、初の航空事故は、1952年(昭和27)4月9日、日本航空のマーチン202型機「もく星号」が伊豆大島の三原山山頂近くに衝突し、乗員乗客37人が死亡した事故である(もく星号事故)。占領下の当時は日本の航空企業による自主運航が許されていなかったため、ノースウェスト航空が運航にあたっていたときの事故であった。また管制業務もアメリカ軍が行っていたため、事故調査は容易ではなく、結局事故原因は明らかにされないままで終わった。

 国内の航空会社のジェット旅客機による初の大事故は、1966年2月4日に起きた千歳(ちとせ)空港発東京国際空港(羽田)行きの全日本空輸ボーイング727型機の墜落事故である。札幌の雪まつり観光客を中心とした乗客126人、乗員7人を乗せて羽田空港に着陸する直前、15キロメートル手前の東京湾に墜落したもので、全員が死亡し、当時としては世界最大の航空事故であった。事故原因としては、パイロットの無謀操縦、高度誤認、あるいはエンジンの取付けボルトの金属疲労による欠損などが指摘されたが、事故調査委員会の結論は「確定的な事故原因は不明」ということであった。このあと、事故が発生した場合の原因究明のために、1970年から操縦室(コックピット)内の会話や通信内容を録音するためのボイスレコーダーの搭載が義務づけられた。

 1971年7月30日に全日空機と自衛隊機との空中衝突事故が発生した。この事故は、千歳空港発羽田空港行き全日空ボーイング727型機が岩手県雫石(しずくいし)町上空2万8000フィート(約8500メートル)を計器飛行中に、有視界で飛行訓練中の自衛隊F-86Fジェット戦闘機2機が民間航空路に侵入、自衛隊機の1機に全日空機が追突するような形で空中衝突した(全日空機雫石事故)。自衛隊機の乗務員はパラシュートで脱出したものの、全日空機は空中分解し、乗客および乗員162人全員が死亡した。事故の第一の原因は、自衛隊機が訓練空域を逸脱して民間航空路に侵入、しかも全日空機を発見するのが遅れ、回避がまにあわなかったこととされた。さらに全日空機のパイロットが、自衛隊機が視界に入りながらも回避操作を怠ったと推定されている。

 1982年2月9日には福岡空港発の日本航空DC-8型機が羽田空港着陸直前に墜落、死者24人、負傷者150人を出した。この事故は、「妄想型統合失調症」の機長によるエンジン逆噴射などの異常操縦が原因とわかり、大きな衝撃を与えた。

 1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故は、ジャンボジェット機ボーイング747SR型機が群馬・長野県境の山中に墜落、炎上したもので、乗客・乗員524人のうち520人が死亡した。同機は、帰省やビジネスの乗客らでほぼ満席の状態で羽田空港を飛び立ち大阪国際空港へ向かう途中であった。これは、過去に損傷を受けた後部圧力隔壁の修理の際に、担当したメーカーであるボーイング社側にミスがあったため、飛行中に破壊されて操縦が不能になったものである。日本国内でのジャンボ機墜落は初めてであり、単独機による世界最大の事故となった。

[秋葉 明]

外国航空機の日本での事故

外国の航空機による事故も発生している。おもな事故をみると、1966年(昭和41)3月にはカナダ太平洋航空機が濃霧のなかで羽田空港への着陸に失敗し、64人が死亡、同月に英国海外航空(BOAC)機が富士山付近の上空で乱気流に巻き込まれ、空中分解して、124人が死亡、1994年(平成6)4月に中華航空機が名古屋空港で操縦機器の誤操作と推定される墜落事故を起こし264人が死亡、1996年6月にガルーダ・インドネシア航空機が福岡空港で離陸に失敗し3人が死亡している。また、2009年3月、強風の成田空港で、アメリカの貨物専用機を運航するフェデックスエクスプレスのマクダネル・ダグラスMD-11F型機が着陸に失敗して横転炎上し、2人の乗員が死亡している。成田空港における初の死亡事故であった。

[秋葉 明]

事故の背景

これまでの日本における航空事故の経緯をみると、その背景に空港施設や航行援助施設の立ち後れがあったことも否定できなかった。早くから問題が指摘されながらも長い間問題の解決が放置され、大事故の発生を契機に急いで対策が講じられるという事例が多かった。たとえば1966年の連続事故を契機に空港整備計画がスタートし、1971年の東亜国内航空(後日本エアシステム、現日本航空)YS-11型機による函館(はこだて)空港進入時の山岳衝突事故直後には、地方空港における航行援助施設整備の方針が打ち出され、同年の全日空機と自衛隊機との空中衝突事故後には、自衛隊の訓練空域と民間航空路との完全分離が図られる、などであった。

 航空事故の多くはとかくパイロット・ミスであると断定され、関係する個人が非難あるいは刑事罰の対象とされがちである。しかし、事故の多くは複雑な要因の組合せのなかで発生するものであり、問題の本質ないしは背景とあわせて考えなければならず、個人的な責任追及だけでは航空の安全の確保にはかならずしも結び付かない。ときには刑事罰を恐れる関係者により事実が隠される可能性があり、逆に原因の追及を困難とする場合もあり、検討を要する課題である。事故調査の対応としては、以前は大事故の発生のたびに、それぞれに新たに調査団を編成し原因追及にあたり、報告の提出後は解散するということであった。しかし1966年、1971年の連続事故を契機に、調査の迅速化と公正さを保つ必要性から、アメリカのNTSB(国家運輸安全委員会)を参考にして、1974年1月、運輸大臣の指揮監督を受けないという独立性が保たれ、航空事故調査、航空安全に関する勧告、航空安全に関する調査研究を目的とした運輸省(現国土交通省)航空事故調査委員会が常設された。その後2001年(平成13)に鉄道事故にも対応した航空・鉄道事故調査委員会へと組織改編され、さらに2008年からは、海運事故問題も対象とするため海難審判庁の原因究明部門と統合して機能を拡大し、運輸安全委員会に改組された。運輸安全委員会は国土交通省の外局であり、審議会であった航空事故調査委員会よりも役割および権限が拡大されている。調査結果の報告書を国土交通大臣に提出、一般に公表するほか、国土交通大臣または関係行政機関の長に対し、施策等についての勧告などを行う。8人の常勤の役員、5人の非常勤の役員で構成され、事務局を置く。

[秋葉 明]

事故の補償

事故の際の被害者救済措置として損害賠償補償制度がある。日本では以前は賠償責任限度額として死者1人当り2300万円と定まっていたが、1982年(昭和57)4月1日新「運送約款」が発効し、限度額は撤廃され、無限責任となった。

[秋葉 明]

『山名正夫著『最後の30秒』(1972・朝日新聞社)』『柳田邦男著『マッハの恐怖』正続(1971、1973・フジ出版社)』『デーヴィド・ゲロー著、清水保俊訳『航空事故』(1994・イカロス出版)』『大内建二著『日本の航空機事故90年』(2003・交通研究協会)』『柳田邦男著『航空事故』(中公新書)』

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百科事典マイペディア 「航空事故」の意味・わかりやすい解説

航空事故【こうくうじこ】

国際民間航空機関(ICAO(イカオ))は,〈飛行する意図をもって人が航空機に乗り込んだときから降りるまでの間に人の死亡,重傷,または航空機の実質的損害が発生した場合〉と定義。日本では航空法で,航空機の墜落・衝突・火災のほか,航空機による人や物の損壊,搭乗者の死亡,行方不明などを含めて範囲を定めている。航空事故によって初めて人が死亡した例は,1785年6月15日,フランスのピラトール・ド・ロジェらが気球による英仏海峡横断の際空中爆発を起こし墜落した事故とされる。航空機では,1896年8月9日にベルリン近郊でグライダーが墜落したO.リリエンタールの死亡事故,飛行機では1908年9月17日に米陸軍フォート・マイヤー基地でライト・フライヤー型機が墜落し,T.セルフリッジ中尉が死亡したのが最初。日本では1913年3月28日所沢で陸軍ブレリオ機が空中分解し墜落,木村金四郎,徳田金二両中尉が死亡。 飛行中の航空機の大事故が起きる原因としては,人間の過失,航空機の欠陥,施設の欠陥,気象状態などがある。事故原因が明確に究明された例としては,1954年英国のコメット旅客機が空中爆発したとき,調査によって高空での気圧低下に起因する胴体部材の疲労破壊ということが立証されたことがある。日本においては,1966年の相次いだ惨事,すなわち2月4日の全日空のボーイング727ジェット旅客機(東京湾に墜落,133名死亡),3月4日のカナダ太平洋航空のDC8旅客機(東京空港に着陸時大破炎上,64名死亡),3月5日のイギリス海外航空(BOAC)のボーイング707旅客機(富士山付近で墜落,124名死亡)の三大事故があり,それぞれ事故原因,安全性について大きな問題を投げかけた。また,1971年7月30日の全日空機と航空自衛隊機との空中衝突(岩手県雫石町上空,全日空ボーイング727機の162人全員死亡,自衛隊機乗員は脱出)は民間定期航空路をあえておかした自衛隊訓練飛行のあり方とともに空の過密状態から生ずるニアミス(異常接近)が改めて問題とされた。その後もDC-10などの金属疲労に起因する胴体破損事故が続出し,大型ジェット機の耐用年数の基準のあいまいさが指摘されている。 1970年代以降の大事故としては次のものがある。1974年トルコ航空のDC-10がパリで墜落炎上,死者346。1977年パンアメリカン航空のボーイング747とオランダ航空の同型機がテネリフェで離陸滑走中衝突,死者574。1978年インド航空のボーイング747がボンベイ(ムンバイ)で離陸直後墜落,死者213。1979年ニュージーランド航空のDC-10が南極エレバス山に衝突,死者257。1980年サウジアラビア航空のL-1011がリヤドで離陸後引火,引き返して着陸後全焼,死者301。さらに1985年の日航ジャンボ機墜落事故では520名が死亡(生存4名)した。1機としては史上最大のこの航空事故は,ジャンボ機に代表されるフェイルセーフ(安全装置)構造の安全性にも問題があることを示した。1994年には中華航空のエアバスA300が名古屋空港(現・県営名古屋空港)で着陸に失敗して墜落炎上,死者264名を出した。 なお,日本で航空事故の防止のための必要な勧告や建議を運輸大臣に行う組織として,航空事故調査委員会が1974年から設置されている。
→関連項目交通事故

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「航空事故」の意味・わかりやすい解説

航空事故
こうくうじこ
aviation accident

航空機に関連する事故。日本の航空法では,航空機の墜落,衝突または火災,航空機による人の死傷または物件の損壊,航空機内にある者の死亡または行方不明,他の航空機との接触,その他と定めている。これらの事故が発生したときはただちに,機長または使用者が国土交通大臣に報告しなければならない。航空事故の調査と原因究明には運輸安全委員会があたるが,その目的は責任の追及ではなく,同じような事故の再発を防止することにある。航空事故を防止するには,単に機長一人の技量や判断に頼るだけでなく,副操縦士その他の乗務員,地上の運航管理者,整備士,さらには空港や航空当局など関係者のすべてが一体となって協力し合うことが重要であるとされ,クルー・リソース・マネジメント CRMの考え方と訓練が強調されるようになった。

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