根津美術館(読み)ネヅビジュツカン

デジタル大辞泉 「根津美術館」の意味・読み・例文・類語

ねづ‐びじゅつかん〔‐ビジユツクワン〕【根津美術館】

東京都港区にある美術館。実業家根津嘉一郎が、茶器仏教絵画などの収集品と邸宅庭園を寄付したもので、昭和16年(1941)開館尾形光琳の「燕子花図かきつばたず屏風」などを所蔵する。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「根津美術館」の意味・わかりやすい解説

根津美術館
ねづびじゅつかん

実業家根津嘉一郎によって創立された,日本の私立美術館の草創期における代表的美術館。大倉集古館とともに双璧といわれる。根津遺志により,1940年東京都港区青山の邸宅と庭園,日本・東洋古美術のコレクションが寄付されて発足戦災を受けたが,65年内藤多仲,今井兼次の設計によって再建。収集品の中心は茶道具で,唐物井戸志野高麗などの名品があり,殷周銅器にも重要文化財や重要美術品にランクされているものが多い。また日本,東洋の絵画,彫刻,書跡,各工芸品や,陶片の収集,展示も行う。『燕子花 (かきつばた) 図屏風』 (尾形光琳) や『那智滝図』,『鶉図』 (季安忠) などの国宝7点,重要文化財 79点を含む約 7300点を収蔵する。

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百科事典マイペディア 「根津美術館」の意味・わかりやすい解説

根津美術館【ねづびじゅつかん】

東京都港区南青山にある美術館。根津嘉一郎の収集した東洋美術品をもとに邸宅と庭園を利用して1940年創立。第2次大戦で焼失し,1953年―1955年に現在の建物を新築。蔵品は尾形光琳《燕子花(かきつばた)図屏風》,《那智滝図》をはじめ,仏画,水墨画,写経,茶器,中国古銅器等。
→関連項目賢江祥啓

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日本の美術館・博物館INDEX 「根津美術館」の解説

ねづびじゅつかん 【根津美術館】

東京都港区にある美術館。昭和16年(1941)創立。実業家根津嘉一郎による東洋古美術のコレクションを中心に収蔵・展示する。国宝燕子花図(かきつばたず)などを所蔵。
URL:http://www.nezu-muse.or.jp/
住所:〒107-0062 東京都港区南青山6-5-1
電話:03-3400-2536

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世界大百科事典(旧版)内の根津美術館の言及

【青山】より

…青山通りは,六本木から原宿へ至る現代ファッションの中心として知られ,地下鉄の便がよい。南青山にある根津美術館は,実業家根津嘉一郎が収集した東洋美術品で名高い。現在,〈青山〉のつく行政上の地名は,港区西部の北青山,南青山に限られているが,青山学院は隣接する渋谷区にある。…

【コレクション】より

…根津嘉一郎(1860‐1940)は東武鉄道などを経営した実業家で,茶道具,古書画,中国古銅器,仏像等の収集が知られる。尾形光琳《燕子花図(かきつばたず)屛風》,名物茶入〈松屋肩衝〉はじめ4000点に及ぶコレクションは,没後東京青山に設立された根津美術館に収蔵された。岩崎弥之助(1851‐1909),小弥太(1879‐1945)は三菱の2代,3代総帥であったが,東洋古陶磁,古画を中心に集め,国宝〈曜変天目茶碗〉や《源氏物語図屛風》(宗達筆)に代表される質の高いコレクションを築き,今日では東京世田谷の静嘉堂文庫に所蔵されている。…

【根津嘉一郎】より

…また1923年の富国徴兵生命保険の創立など鉄道以外の事業にも手をのばし,1921年には私財を投じて武蔵高校(現,武蔵大学)を創立した。美術品収集家としても知られ,《那智滝図》など国宝27点を含むその古美術品のコレクションは財団法人根津美術館に所蔵されている。40年1月に死去したあとは長男が根津嘉一郎を襲名し,東武鉄道社長に就任した。…

※「根津美術館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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