化学者。日本の化学研究教育組織の確立者。加賀藩士桜井甚太郎の子として生まれる。5歳で父を失ったが、11歳のとき藩の英語学校致遠館(ちえんかん)に入り、さらにイギリス人オズボーンPercival Osborn(1842―1905)から英語を学んだ。1871年(明治4)母とともに上京、13歳で大学南校(後の東京大学)に入学した。5年間の勉学ののち、1876年杉浦重剛(しげたけ)とともに選ばれてイギリスに留学、ロンドン大学のウィリアムソンのもとで化学を学んだ。1年後の試験では第1位の成績で金賞牌(はい)を受け、翌1878年は奨学金を獲得した。留学中、有機水銀化合物を研究、1879年にはロンドン化学会終身会員に選ばれた。1881年に帰国、ただちに東京大学講師、翌1882年弱冠24歳で最初の日本人化学教授となった。彼は、従来の化学研究が分析と合成のみにとどまっていることを指摘し、これからは原子の運動を明らかにする理論化学へ進むべきことを唱えて、新興の物理化学の成果を精力的に紹介した。また自らも沸点上昇測定法の改良(1892)、伝導度測定によるグリココル(グリシン)やアミドスルホン酸(スルファミン酸)の構造決定(1894、1897)など独自の研究を行った。教授定年制を提唱して1919年(大正8)満60歳で東京帝国大学を退いた。科学の振興と組織化に行政手腕を発揮し、理化学研究所(1917)、学術研究会議(1920)、学術振興会(1932)などの創設に尽力したほか、帝国学士院院長、日本化学会会長、貴族院議員、枢密顧問官などを歴任、また多くの外国学会の名誉会員にも選ばれた。
[内田正夫]
明治維新後の新教育を受け,日本学術界の新リーダーとして国際的に活躍した化学者。加賀藩士桜井甚太郎の六男として生まれる。6歳で父を失い,母の手で育てられ,1870年(明治3)藩立英語学校致遠館に入学し三宅秀らに学び,次いで能登の七尾の語学所でイギリス人オズボーンに学び,71年先祖伝来の土地を売り払った母に連れられて上京,2年前に上京していた兄2人とともに4人で暮らす。同年大学南校に入学,改名された開成学校でアトキンソンRobert William Atkinson(1850-1929)に化学を学び,76年政府留学生としてアメリカを経てイギリスのロンドン大学ユニバーシティ・カレッジに行き,5年間(1876-81)A.W.ウィリアムソンらに学ぶ。1学年末の化学の試験で百数十人中1位となり金牌を得た。テニソン,ディケンズ,ジョージ・エリオットなどを耽読するなどしてイギリスの文化・政治の影響を受けて帰国。81年8月に,直ちに東京大学理学部講師,翌年教授となり,1919年定年退官するまで37年間にわたり多数の化学者を育てた。1907年には東京帝国大学理科大学学長も務めた。原子論に立脚した理論的化学を重視し,ベックマン沸点上昇測定法を改良し,池田菊苗とともに分子量測定装置を考案した研究は1892年の《Journal of Chemical Society》に載り,物理化学上国際的貢献として知られる。理化学研究所の設立(1917)に努め,また,帝国学士院院長,学術研究会議会長,東京女学館館長,日本学術振興会理事長などを歴任した。
執筆者:道家 達将
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明治〜昭和期の化学者,男爵 東京帝大名誉教授;帝国学士院院長;理化学研究所副所長。
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日本の化学者.金沢に加賀藩士の六男として生まれる.藩の英語学校を経て,1871年大学南校に入学.東京開成学校,東京大学でR.W. Atkinson(アトキンソン)に化学を学ぶ.1876~1881年ロンドンのユニバーシティ・カレッジに留学しA.W. Williamson(ウィリアムソン)に化学,G.C. Foster,O. Lodgeに物理学を学ぶ.留学中に有機水銀化合物に関する研究に取り組み,1879年ロンドン化学会会員に選出される.帰国後の1882年東京大学(1886年帝国大学,1897年東京帝国大学と改称)教授に就任,1919年までその任にあり,おもに理論化学,物理化学の導入に尽力した.沸点上昇による分子量測定法の改良(1892年)などの研究業績のほか,理化学研究所(1917年),日本学術振興会(1932年)の設立に参画し,第三回汎(はん)太平洋学術会議(1926年)を組織するなど,日本の科学研究体制の確立と科学者の国際関係の発展に大きな役割を果たした.
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1858.8.18~1939.1.28
明治~昭和前期の化学者。加賀国生れ。イギリスに留学後,1882年(明治15)東京大学教授。溶液の沸点上昇測定法を改良。理論化学を歴史的に教授し,化学教育に尽くす。98年帝国学士院会員,のち院長。理化学研究所・日本学術振興会の設立に努力し,日本の学術体制整備に努めた。第2次大戦前に渡英して日英関係の改善をはかったが成功しなかった。貴族院議員。
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