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桜井錠二 さくらいじょうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

桜井錠二
さくらいじょうじ

[生]安政5 (1858).8.18. 加賀,金沢
[没]1939.1.28. 東京
明治・大正・昭和期の化学者。金沢藩士の子として生まれる。1876年からイギリスに留学,1881年に帰国して翌 1882年に東京大学化学科教授に就任。有機化学物理化学を専門とし,分子量測定のための沸点測定装置を開発。

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デジタル大辞泉の解説

さくらい‐じょうじ〔さくらゐヂヤウジ〕【桜井錠二】

[1858~1939]化学者。石川の生まれ。英国に留学。ベックマン沸点上昇測定装置を改良。東大教授。帝国学士院院長。

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百科事典マイペディアの解説

桜井錠二【さくらいじょうじ】

化学者。金沢の生れ。大学南校在学中1876年英国に留学し,有機化学ウィリアムソンに学ぶ。1881年帰国,翌年東大教授。池田菊苗とともに溶液の沸点上昇測定法を改良(桜井=池田法)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桜井錠二 さくらい-じょうじ

1858-1939 明治-昭和時代前期の化学者。
安政5年8月18日生まれ。大学南校からロンドン大に留学。帰国後,東京大学教授。原子論にもとづく物理化学理論を提唱。理化学研究所,日本学術研究会議,学術振興会などの設立につとめた。学士院院長,日本化学会会長,貴族院議員。昭和14年1月28日死去。82歳。加賀(石川県)出身。

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世界大百科事典 第2版の解説

さくらいじょうじ【桜井錠二】

1858‐1939(安政5‐昭和14)
明治維新後の新教育を受け,日本学術界の新リーダーとして国際的に活躍した化学者。加賀藩士桜井甚太郎の六男として生まれる。6歳で父を失い,母の手で育てられ,1870年(明治3)藩立英語学校致遠館に入学し三宅秀らに学び,次いで能登の七尾の語学所でイギリス人オズボーンに学び,71年先祖伝来の土地を売り払った母に連れられて上京,2年前に上京していた兄2人とともに4人で暮らす。同年大学南校に入学,改名された開成学校アトキンソンRobert William Atkinson(1850‐1929)に化学を学び,76年政府留学生としてアメリカを経てイギリスのロンドン大学ユニバーシティカレッジに行き,5年間(1876‐81)A.W.ウィリアムソンらに学ぶ。

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大辞林 第三版の解説

さくらいじょうじ【桜井錠二】

1858~1939) 化学者。石川県生まれ。東大教授。理化学研究所・日本学術研究会議の設立に尽力。日本の化学研究発展の基礎を築いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桜井錠二
さくらいじょうじ
(1858―1939)

化学者。日本の化学研究教育組織の確立者。加賀藩士桜井甚太郎の子として生まれる。5歳で父を失ったが、11歳のとき藩の英語学校致遠館(ちえんかん)に入り、さらにイギリス人オズボーンPercival Osborn(1842―1905)から英語を学んだ。1871年(明治4)母とともに上京、13歳で大学南校(後の東京大学)に入学した。5年間の勉学ののち、1876年杉浦重剛(しげたけ)とともに選ばれてイギリスに留学、ロンドン大学のウィリアムソンのもとで化学を学んだ。1年後の試験では第1位の成績で金賞牌(はい)を受け、翌1878年は奨学金を獲得した。留学中、有機水銀化合物を研究、1879年にはロンドン化学会終身会員に選ばれた。1881年に帰国、ただちに東京大学講師、翌1882年弱冠24歳で最初の日本人化学教授となった。彼は、従来の化学研究が分析と合成のみにとどまっていることを指摘し、これからは原子の運動を明らかにする理論化学へ進むべきことを唱えて、新興の物理化学の成果を精力的に紹介した。また自らも沸点上昇測定法の改良(1892)、伝導度測定によるグリココル(グリシン)やアミドスルホン酸(スルファミン酸)の構造決定(1894、1897)など独自の研究を行った。教授定年制を提唱して1919年(大正8)満60歳で東京帝国大学を退いた。科学の振興と組織化に行政手腕を発揮し、理化学研究所(1917)、学術研究会議(1920)、学術振興会(1932)などの創設に尽力したほか、帝国学士院院長、日本化学会会長、貴族院議員、枢密顧問官などを歴任、また多くの外国学会の名誉会員にも選ばれた。[内田正夫]

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