「味の素」の発明などで知られる物理化学者。元治(げんじ)元年9月8日、京都に生まれ、1889年(明治22)東京帝国大学理科大学化学科を卒業、1901年(明治34)同教授、1923年(大正12)退職した。助教授在職中の1899年に、当時の物理化学の研究拠点であったドイツのライプツィヒ大学のF・W・オストワルトのもとに留学。帰途しばらく滞在したロンドンでの夏目漱石(そうせき)との交流はよく知られている。心身ともに不安定であった当時の漱石は、池田の品性、博識、見識に敬意を覚えつつ大いに慰められた。池田は1917年(大正6)理化学研究所創立に参画、のち主任研究員にもなった。大学退職後はドイツに5年間研究室をもったり、自宅に実験室を設けて5名の研究者と死の年まで香気、臭気の研究をするなど、異色の研究生活を送った。東京帝国大学教授在職中、物質の味には甘味、酸味、苦味、塩から味の四味のほかに、「うま味」があるはずとの着想をもち、用務員を督励して大量のコンブから「うま味」を抽出、ついにその成分の本体がグルタミン酸ナトリウムであることをつきとめた。これが今日の「味の素」である。なお彼はドイツ留学中、オストワルトのエネルギー一元論の影響は受けたが、傾倒することはなかった。昭和11年5月3日東京にて死去した。
[中川鶴太郎]
『林太郎著『池田菊苗先生の講義』(『化学史研究』第13号所収・1980・内田老鶴圃新社)』
明治中期から昭和初期にかけて活躍した日本の代表的な化学者,化学調味料〈味の素〉の発明者として有名。薩摩藩士池田春苗の次男として京都で生まれ,16歳のとき大阪衛生試験所長村橋次郎から化学を学んだ。1889年帝国大学理科大学化学科を卒業,高等師範学校教授を経て,1901年東京帝国大学理科大学教授となり,23年同大学を退職。1917年に理化学研究所の設立に参画し,32年退職。1899年にはドイツのライプチヒ大学のF.W.オストワルトの研究室に留学,物理化学の研究ばかりでなく科学思想その他でも大きな影響を受けた。池田の業績の一つは,19世紀の末に成立した物理化学をいち早く日本に導入し,その基礎を築いたことである。この分野の論文としては溶液論や反応速度論等に関するものがある。実験装置の製作・改良,化学教科書の編纂(へんさん)も行った。1907年ころから彼の研究は従来の純正化学から応用化学へと移った。これは彼の実学志向,化学工業への物理化学の有効性の主張等によるものと思われる。同年コンブのうまみ成分の研究から調味料グルタミン酸ナトリウムを発見し,翌年製造特許を得た。これは〈味の素〉の商品名でただちに製造・販売された。そのほかにも製塩法の研究等化学上の実用的研究が数多くある。文学や哲学等についても造詣が深く,ロンドンでの夏目漱石との交遊をとおして彼の文学論執筆に影響を与えたといわれている。
執筆者:斎藤 茂樹
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明治〜昭和期の物理化学者 東京帝国大学教授;理化学研究所主任研究員。 味の素の発明家。
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(山下愛子)
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日本の化学者.薩摩藩士の次男として京都に生まれる.帝国大学理科大学において桜井錠二,E. Divers(ダイバース)などに化学を学び,1889年卒業.高等師範学校教授を経て,1896年母校(1897年から東京帝国大学と改称)の助教授となり,1899~1901年ドイツ,ライプチヒ大学のF.W. Ostwald(オストワルト)のもとに留学し,物理化学を専攻した.帰国後,1903年理学博士号を取得.1902~1923年東京帝国大学教授を務めた.反応速度の簡易測定法など専門の物理化学に関する業績のほか,L-グルタミン酸ナトリウムが味覚としての“旨味”の原因であることを発見した業績が著名である(今日の“味の素”).1913~1914年東京化学会会長を務め,1917年理化学研究所設立にあたって化学部長に就任し,1922~1932年同所主任研究員を務めるなど,明治・大正期の日本を代表する化学者の一人である.
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…神奈川県葉山で,ヨード製造を家内工業で行っていたが,化学薬品にも手を広げ1907年合資会社鈴木製薬所に改組(1912年鈴木商店)。東大教授池田菊苗が08年に取得したグルタミン酸調味料製造法の特許の工業化を依頼された鈴木は,新化学調味料の製造に取り組み,同年11月〈味の素〉の名で売り出した。当初はまったく売れず,軌道に乗るまでに10年近い年月を要した。…
…【田島 真】
[化学調味料製造業]
現在,調味料全体のうち約2割が化学調味料であるが(出荷額ベース),その大半を占めるのがグルタミン酸ナトリウム(グルタミン酸ソーダ,略してグル曹ともいう)である。これがコンブのうま味の正体であることをつきとめ,1908年特許をとったのが池田菊苗である。池田の依頼を受けた2代目鈴木三郎助は自身で創業した鈴木製薬所(現,味の素(株))で製造,08年11月〈味の素〉の名で売り出した。…
※「池田菊苗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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