人形浄瑠璃。世話物。別題《裙重(つまがさね)恨鮫鞘》,通称《鰻谷(うなぎだに)》《お妻八郎兵衛》。古手屋(古物商)八郎兵衛のお妻殺し(四つ橋娘殺し)は,1702年(元禄15)7月に起こり,すぐさま歌舞伎に仕組まれて大坂で上演されている。その後,64年(明和1)8月大坂三枡大五郎座(中の芝居)で歌舞伎狂言《文月恨切子》が上演された。これは同年に起こった大坂坂町の遊女若野殺しをお妻殺しにはめた作である。改作に《鐘もろとも恨鮫鞘》(1813年5月京の北側芝居)などがある。《文月恨切子》をうけて作られた人形浄瑠璃《裙重浪花八文字(なにわはちもんじ)》(八民平七作)が,69年(明和6)2月大坂阿弥陀池東の芝居竹本座で上演された。《桜鍔恨鮫鞘》は,この《裙重》の〈鰻谷の段〉である。古手屋八郎兵衛は主君の難儀を救うための金策に苦しんでいる。女房お妻は香具屋弥兵衛に身をまかせて金を工面しようとし,夫八郎兵衛に愛想づかしをする。家を追い出されて門口に立っている娘のお半をみつけた八郎兵衛は,お妻への怒りに我を忘れ,お妻とその母を斬り殺す。だがそのときお半が語るお妻の書置によって八郎兵衛はお妻の本心を知ることになる。縁切から殺しになるという愛想づかしの型通りの作で,無筆のお妻が娘に書置を口述させる趣向は1759年(宝暦9)7月中山文七座(角の芝居)の歌舞伎《大坂神事(まつり)揃》(初世並木正三作)ですでに使われている。歌舞伎に移された《鰻谷》では,11世片岡仁左衛門の八郎兵衛が優れた舞台で,片岡十二集の一つとして伝えられている。
→お妻八郎兵衛物
執筆者:三浦 広子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。段数・作者未詳。1773年(安永2)大坂初演といわれる。通称「お妻八郎兵衛(はちろべえ)」「鰻谷(うなぎたに)」。元禄(げんろく)・宝永(ほうえい)(1688~1711)ごろから歌祭文(うたざいもん)や踊口説(おどりくどき)に扱われ、その後も浄瑠璃、歌舞伎(かぶき)に脚色されてきたお妻八郎兵衛の話を、お妻を前作のような遊女や芸妓(げいぎ)でなく八郎兵衛の女房として描いたもので、八民(やたみ)平七作、1769年(明和6)2月竹本座初演の『裙重浪花八文字(つまかさねなにわはちもんじ)』の改作。大坂の下町鰻谷に住む古手屋(ふるてや)(古物商)八郎兵衛は主家のため金の調達に苦心し、それと知った女房お妻は母と相談して、香具師(やし)弥兵衛(やへえ)に身を任せて金をつくり、夫に愛想づかしをする。家を突き出された八郎兵衛は怒りに堪えかね、お妻と姑(しゅうと)を殺すが、娘のお半が母から教えられて述べる書置きにより真意を知る。無筆のお妻が幼い娘に口述して遺書を覚えさせるという暗い設定が異色。歌舞伎では明治に11世片岡仁左衛門(にざえもん)が復活、八郎兵衛の辛抱立役(しんぼうたちやく)的な演技を眼目に、その家の芸として現代に伝わっている。
[松井俊諭]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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