改訂新版 世界大百科事典 「梅原末治」の意味・わかりやすい解説
梅原末治 (うめはらすえじ)
生没年:1893-1983(明治26-昭和58)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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1893.8.13~1983.2.19
昭和期の考古学者。大阪府出身。京大考古学教室に学ぶ。浜田耕作の指導をうけ,日本・朝鮮半島・中国の考古学的研究に従事。とくに日本の銅鐸や古墳出土の鏡,中国の青銅器などの研究に顕著な業績をあげた。京都大学教授・天理大学教授を歴任。1963年(昭和38)文化功労者。著書「銅鐸の研究」「鑑鏡の研究」「古代北方系文物の研究」「漢三国六朝紀年銘鏡図説」など多数。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…日本で最も重要な古墳の一つで,多数の豪華な副葬品とともに,大王名を記した銀象嵌銘を刀背にもつ鉄製大刀を出土したことで知られる。1873年に多数の副葬品が掘り出され,1922年の梅原末治の調査と報告が基礎になって,さまざまな議論が交わされた。しかし古墳の構造と規模については,梅原による44,45年の調査,菊水町教育委員会による75年の調査が重要である。…
…上終町遺跡は1934年に小林行雄らが発掘し,縄文時代中期末の住居址1棟のほか,早期押型文土器,後期北白川上層式土器が発見された。小倉町遺跡は34年に梅原末治らが発掘した,近畿地方縄文土器研究の原点ともいうべき遺跡である。前期・後期の縄文土器に,石鏃,二等辺三角形の石匙,石錐,磨製石斧,石錘,玦状耳飾などが伴出し,赤色顔料で彩色した前期の浅鉢はとくに注意を引いた。…
…慶州古墳群のなかで最大の規模を誇る鳳凰台古墳や,金冠塚,飾履塚(しよくりづか)に近接して築造されている。1924年に梅原末治によって発掘がおこなわれた。墳丘は半壊されていたが,埋葬施設である積石木槨部は完存し,しかも多数の副葬品が埋葬時の原形をとどめていた。…
…20年代後半から第2次世界大戦にいたる間は編年学の時期といわれる。山内清男(やまのうちすがお)は縄文土器の,小林行雄は弥生土器の,梅原末治は古墳の年代づけを推進した。弥生土器の存在は19世紀から知られていたが,弥生時代の性格が明らかとなり,縄文時代,弥生時代,古墳時代という現在使われている時代区分の原型ができ上がったのは,30年代のことである。…
※「梅原末治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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