梵魚寺(読み)ぼんぎょじ

改訂新版 世界大百科事典 「梵魚寺」の意味・わかりやすい解説

梵魚寺 (ぼんぎょじ)

韓国釜山市東萊区青竜洞の寺。835年(新羅興徳王10)の創建伽藍は1592年の豊臣秀吉による壬辰の乱(文禄の役)により灰燼かいじん)に帰し,1602年再建後,再び火災にあい頽落した。現在の伽藍は1613年高僧妙金和尚の再建と伝えられる。創建時の遺構としては,大雄殿前方下壇の左右に並ぶ石塔,石灯がある。3層石塔の2層基壇には上・下壇とも格狭間があり,石灯は竿石に比べて火袋が大きく,台座蓮弁は肉厚で時代の特徴をよく表している。大雄殿は事跡記により1717年の再建とされるが,様式的には妙金和尚の再建時までさかのぼる可能性がある。大雄殿前方の普済楼も,大雄殿とほぼ同時期の再建と推定される。寺名は,寺域にある巨岩のくぼみに円形の池があり,そこに金色の魚が泳いでいたところから生じたという伝説をもつ。背後の金井山には,壬辰の乱に際して多数の僧兵がたてこもったと伝えられている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梵魚寺」の意味・わかりやすい解説

梵魚寺
ぼんぎょじ

韓国(大韓民国)、釜山(ふざん)広域市にある寺。山号は金井(きんせい)山。旧朝鮮三十一本山の一つ。新羅(しらぎ)662年(一説に835年)海東華厳(かいとうけごん)の初祖義湘(ぎしょう)の創建。慶尚北道の太白山(たいはくさん)浮石寺とともに華厳伝教十刹(じっさつ)の一つ。1592年日本軍の兵火にかかって焼失したが、1602年春観禅師が再建。ふたたび火災にあったが、1613年秋、妙全が重建した。現在も大雄殿、毘盧(びる)殿、龍華(りゅうげ)殿などの建造物を中心として壮麗な伽藍(がらん)および塔頭(たっちゅう)が並ぶ。なかでも、大雄殿は三間三面、単層切妻造で、構造・装飾ともに繊細華麗を極め、なおかつ雄健の風を帯びており、内陣の仏壇も荘厳きわまりないものである。創建時の遺構に石塔、石灯がある。諸方に末寺33か寺を有する。

[里道徳雄]

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百科事典マイペディア 「梵魚寺」の意味・わかりやすい解説

梵魚寺【ぼんぎょじ】

韓国,釜山市東莱区にある寺。新羅(しらぎ)末期の835年創建。華厳(けごん)教学の中心で,一山360余の堂宇を誇ったが,1592年文禄(ぶんろく)の役(壬辰倭乱(じんしんわらん))のため焼失。1602年再建後,再び火災にあい,1613年再建。壮大な大雄殿をはじめ多くの堂宇がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「梵魚寺」の意味・わかりやすい解説

梵魚寺
ぼんぎょじ
Pǒmǒ-sa

韓国,釜山市東莢区にある寺院。山号は金井山。新羅,文武王 18 (678) 年に義湘が創建。華厳仏教十刹の一つで,大雄殿前の3層石塔は国宝となっており,韓国では重要な仏寺の一つである。

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