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森川杜園 もりかわ とえん

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美術人名辞典の解説

森川杜園

彫刻家。幼名は友吉、のち扶疏、杜園は号。奈良生。絵画を内藤其淵に学び、16才で既に有名になる。18才で岡野保伯に刀法を学び奈良人形を造る。彼の作品には名品が多く、明治天皇に献上した舞楽納蘇利置物・法隆寺九面観音模像等の傑作がある。また和歌を伴林光平に学び、狂言・点茶等も能くした。明治27年(1894)歿、75才。

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デジタル大辞泉の解説

もりかわ‐とえん〔もりかはトヱン〕【森川杜園】

[1820~1894]江戸末期・明治期の彫刻家。奈良の生まれ。奈良人形を作り、奈良一刀彫の祖ともされる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

森川杜園 もりかわ-とえん

1820-1894 江戸後期-明治時代の彫刻家。
文政3年6月26日生まれ。奈良一刀彫を独習,春日有職(かすがゆうそく)奈良人形師となる。鹿や能・狂言に取材した木彫作品にすぐれ,内国勧業博,シカゴ万博などで受賞。正倉院宝物や古彫刻の模作にも従事した。明治27年7月15日死去。75歳。大和(奈良県)出身。名は友吉。

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朝日日本歴史人物事典の解説

森川杜園

没年:明治27.7.15(1894)
生年:文政3.6.26(1820.8.4)
幕末明治期の奈良人形師,彫工。幼名友吉,扶疏とも。生家は奈良で紀州藩(和歌山県)の銀方御用(大名への金貸し業)を務める一方,公事宿を営んだ。13歳のころから絵を学び,16歳で奈良奉行に絵の御用を命じられた。18歳で春日神社の古材で作る彩色木彫の奈良人形の制作を学び始め,安政3(1856)年,春日有職奈良人形師となった。天保13(1842)年,大蔵流狂言師山田弥兵衛を襲名しており,「蘭陵王」など,能,狂言を題材とする作品のほか,鹿を得意とした。正倉院宝物や奈良の古美術品の模作にも力を注いでおり,江戸期の職工から近代の彫刻家への過渡的存在として重要である。

(山梨絵美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

もりかわとえん【森川杜園】

1820‐94(文政3‐明治27)
木彫家。奈良に生まれる。幼名友吉。寺子屋時代から絵や彫刻にすぐれた才能を示し,幕末から明治前期にかけて奈良人形で知られる一刀彫の作品を発表して名人といわれた。動物を好んで題材にし,ことに鹿の制作に巧みで,能・狂言に取材した彫刻にもすぐれた作品を残した。置物の小品のほか,1893年シカゴ万国博覧会に出品した《牝牡大鹿》の大作もある。晩年は帝国博物館の委嘱で,東大寺や法隆寺の仏教彫刻の模刻に妙技を発揮した。

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大辞林 第三版の解説

もりかわとえん【森川杜園】

1820~1894) 幕末・明治の彫刻家。奈良の人。奈良一刀彫りの元祖。代表作「竜灯鬼」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

森川杜園
もりかわとえん

[生]文政3(1820).6.26. 奈良
[没]1894.7.15. 奈良
彫刻家。幼名友吉。号は奈良木偶師。初め絵を学び,のち彫刻に転じ,奈良人形師の松寿恒徳の刀風を参考に一刀彫を独習。安政2 (1855) 年頃春日大社若宮の大宿所前絵師職となり,次いで春日有職奈良人形師を命じられ,奈良一刀彫の名人として名を揚げた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

森川杜園
もりかわとえん
(1820―1894)

江戸末期から明治の彫刻家。奈良の人。幼名友吉。幼少より絵画・彫刻に秀で、奈良彫り人形で知られる奈良一刀彫の名人。簡単な刀法で写実感を示す独特の彫技に新機軸を発揮した。1877年(明治10)第1回内国勧業博覧会に『蘭陵王(らんりょうおう)』『鹿(しか)』を、81年の第2回には『竜灯鬼』を出品して妙技一等賞を得た。動物、ことに鹿の制作に巧みで、93年のシカゴ万国博覧会には、73歳の老齢で『牝牡鹿(めすおすじか)』の大作を出品して気を吐いた。一面、古彫刻の模作にも長じ、75年には吉野如意輪(にょいりん)堂の扉を模造、92年には法隆寺九面観音(かんのん)像を模し、町田久成(ひさなり)に認められて正倉院宝物の模造にも従事、死の直前まで伝統的彫技を振るった。地方作家としては珍しい存在であった。[佐藤昭夫]

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世界大百科事典内の森川杜園の言及

【一刀彫】より

…題材を多く能,狂言にとり,彩色を施して仕上げた小人形で,荒削りの力強い表現に特色がある。江戸末期に森川杜園(1820‐94)が出て,好んで動物を彫り,名人といわれ,奈良特産の木彫工芸としてさらに広く知られるようになった。飛驒の一刀彫は,江戸末期に松田亮長(1799‐1871)によって大成されたとされ,イチイ材を用いた素木像で,亀,達磨,十二支などを根付,置物などに作った。…

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