デジタル大辞泉
「森川杜園」の意味・読み・例文・類語
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もりかわ‐とえん【森川杜園】
- 彫刻家。奈良の人。奈良一刀彫の大家。動物、ことに鹿の制作に巧みで、明治二六年(一八九三)、シカゴ万国博覧会に大作「牝牡鹿」を出品した。文政三~明治二七年(一八二〇‐九四)
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森川杜園 (もりかわとえん)
生没年:1820-94(文政3-明治27)
木彫家。奈良に生まれる。幼名友吉。寺子屋時代から絵や彫刻にすぐれた才能を示し,幕末から明治前期にかけて奈良人形で知られる一刀彫の作品を発表して名人といわれた。動物を好んで題材にし,ことに鹿の制作に巧みで,能・狂言に取材した彫刻にもすぐれた作品を残した。置物の小品のほか,1893年シカゴ万国博覧会に出品した《牝牡大鹿》の大作もある。晩年は帝国博物館の委嘱で,東大寺や法隆寺の仏教彫刻の模刻に妙技を発揮した。
執筆者:小竹 明
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森川杜園
もりかわとえん
(1820―1894)
江戸末期から明治の彫刻家。奈良の人。幼名友吉。幼少より絵画・彫刻に秀で、奈良彫り人形で知られる奈良一刀彫の名人。簡単な刀法で写実感を示す独特の彫技に新機軸を発揮した。1877年(明治10)第1回内国勧業博覧会に『蘭陵王(らんりょうおう)』『鹿(しか)』を、81年の第2回には『竜灯鬼』を出品して妙技一等賞を得た。動物、ことに鹿の制作に巧みで、93年のシカゴ万国博覧会には、73歳の老齢で『牝牡鹿(めすおすじか)』の大作を出品して気を吐いた。一面、古彫刻の模作にも長じ、75年には吉野如意輪(にょいりん)堂の扉を模造、92年には法隆寺九面観音(かんのん)像を模し、町田久成(ひさなり)に認められて正倉院宝物の模造にも従事、死の直前まで伝統的彫技を振るった。地方作家としては珍しい存在であった。
[佐藤昭夫]
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森川杜園
もりかわとえん
[生]文政3(1820).6.26. 奈良
[没]1894.7.15. 奈良
彫刻家。幼名友吉。号は奈良木偶師。初め絵を学び,のち彫刻に転じ,奈良人形師の松寿恒徳の刀風を参考に一刀彫を独習。安政2 (1855) 年頃春日大社若宮の大宿所前絵師職となり,次いで春日有職奈良人形師を命じられ,奈良一刀彫の名人として名を揚げた。また古い仏教彫刻の模作にもすぐれ,明治になってからは正倉院御物 (現宝物) の模造にも従事した。 1877年第1回内国勧業博覧会に『蘭陵王木偶』『鹿の置物』を出品,81年第2回に出品した『竜灯鬼彫像』で妙技1等賞を受賞。 93年シカゴ万国博覧会用に制作した『牝牡の鹿』は晩年の大作として著名。
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森川杜園
没年:明治27.7.15(1894)
生年:文政3.6.26(1820.8.4)
幕末明治期の奈良人形師,彫工。幼名友吉,扶疏とも。生家は奈良で紀州藩(和歌山県)の銀方御用(大名への金貸し業)を務める一方,公事宿を営んだ。13歳のころから絵を学び,16歳で奈良奉行に絵の御用を命じられた。18歳で春日神社の古材で作る彩色木彫の奈良人形の制作を学び始め,安政3(1856)年,春日有職奈良人形師となった。天保13(1842)年,大蔵流狂言師山田弥兵衛を襲名しており,「蘭陵王」など,能,狂言を題材とする作品のほか,鹿を得意とした。正倉院宝物や奈良の古美術品の模作にも力を注いでおり,江戸期の職工から近代の彫刻家への過渡的存在として重要である。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
森川杜園 もりかわ-とえん
1820-1894 江戸後期-明治時代の彫刻家。
文政3年6月26日生まれ。奈良一刀彫を独習,春日有職(かすがゆうそく)奈良人形師となる。鹿や能・狂言に取材した木彫作品にすぐれ,内国勧業博,シカゴ万博などで受賞。正倉院宝物や古彫刻の模作にも従事した。明治27年7月15日死去。75歳。大和(奈良県)出身。名は友吉。
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森川 杜園 (もりかわ とえん)
生年月日:1820年6月26日
江戸時代;明治時代の彫刻家
1894年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の森川杜園の言及
【一刀彫】より
…題材を多く能,狂言にとり,彩色を施して仕上げた小人形で,荒削りの力強い表現に特色がある。江戸末期に森川杜園(1820‐94)が出て,好んで動物を彫り,名人といわれ,奈良特産の木彫工芸としてさらに広く知られるようになった。飛驒の一刀彫は,江戸末期に松田亮長(1799‐1871)によって大成されたとされ,イチイ材を用いた素木像で,亀,達磨,十二支などを根付,置物などに作った。…
※「森川杜園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」