日本大百科全書(ニッポニカ) 「歌舞伎俳優の屋号」の意味・わかりやすい解説
歌舞伎俳優の屋号
かぶきはいゆうのやごう
歌舞伎俳優が舞台や花道に登場した際、あるいはその演技の要所要所で、客席から「○○屋」との掛け声がかかる。これが役者の屋号で、歌舞伎俳優と観客を密接に結び付ける要素の一つになっている。そのおもなものと由来は次のとおりである(五十音順)。
音羽屋(おとわや)
尾上(おのえ)菊五郎系の屋号で、菊五郎・梅幸・松緑、坂東(ばんどう)彦三郎ら。初世の父が芝居茶屋の出方(でかた)(従業員)で音羽屋半平といったところからきている。
沢瀉屋(おもだかや)
市川猿之助・段四郎ら。市川流の荒事(あらごと)『草摺引(くさずりびき)』の曽我(そが)の五郎がもつ鎧(よろい)の紋によるものといわれる。
河内屋(かわちや)
実川延若(じつかわえんじゃく)。初世が大坂道頓堀(どうとんぼり)の茶屋河内屋の養子だったことによる。
紀伊国屋(きのくにや)
沢村宗十郎・田之助・藤十郎ら。初世の出身地によるものといわれるが、はっきりした由来は不明である。
喜の字屋(きのじや)
守田勘弥(かんや)家。8世の俳名喜幸から出たものといわれる。勘弥は森田座(守田座)の座元。
高麗屋(こうらいや)
松本幸四郎・市川染五郎ら。由来は不明。初世幸四郎は大和(やまと)屋といい、2世からこの屋号を名のる。
高島屋(たかしまや)
市川左団次・小団次系統の屋号。4世小団次の父が市村座の火縄売りで、高島屋を名のっていたのによる。
橘屋(たちばなや)
市村羽左衛門(うざえもん)家。羽左衛門・家橘(かきつ)ら。羽左衛門は市村座の座元で、その定紋が橘なのでこの名ができた。
中村屋(なかむらや)
中村勘三郎家。勘三郎・勘九郎ら。勘三郎の名は江戸歌舞伎最古の家柄で、中村座の座元であった。出身地にもちなんで中村姓を名のり、初めは柏(かしわ)屋といったが、のち芸名の姓を屋号としたもの。
成駒屋(なりこまや)
中村歌右衛門(うたえもん)・芝翫(しかん)・福助・鴈治郎(がんじろう)・扇雀(せんじゃく)ら。歌右衛門は、初世・3世は出身地にちなんで加賀屋といったが(2世は蛭子(えびす)屋)、初世が4世団十郎と義兄弟の縁を結び、将棋の駒の衣装を贈られたので、それにちなんで4世から成駒屋を名のるようになった。
成田屋(なりたや)
市川団十郎・海老蔵・新之助ら。初世団十郎が成田不動を信仰し、その御利益(ごりやく)で名を高めたのを記念して屋号とした。
播磨屋(はりまや)
中村吉右衛門(きちえもん)・又五郎(またごろう)ら。先祖が大坂三井家の番頭を勤め、播磨屋作兵衛といったことによる。
松島屋(まつしまや)
片岡仁左衛門(にざえもん)・我童(がどう)・我當(がとう)・市蔵・芦燕(ろえん)ら。由来は不明。
三河屋(みかわや)
市川団蔵・銀之助。市川団蔵系の屋号で、初世団蔵の出身地から出たもの。
山崎屋(やまざきや)
河原崎権十郎(ごんじゅうろう)・国太郎ら。江戸・河原崎座の座元だった初世河原崎権之助の出身地、京都・山崎にちなむ。
大和屋(やまとや)
坂東三津五郎家。簑助(みのすけ)・秀調(しゅうちょう)・玉三郎、岩井半四郎ら。三津五郎系は初世の養父の父が大和屋又八といったところからきている。半四郎系は初め雑司谷屋といったが、4世が2世幸四郎の門弟だったので、幸四郎の屋号大和屋を譲られたという。
萬屋(よろずや)
中村歌六(かろく)・時蔵・歌昇・錦之助ら。3世歌六の妻が市村座の芝居茶屋萬屋の娘だったのによる。
そのほか、明石屋(あかしや)(大谷友右衛門)、岡島屋(嵐吉三郎(きちさぶろう))、加賀屋(中村魁春・東蔵・松江)、京扇(きょうせん)屋(中村梅花)、京屋(中村雀右衛門(じゃくえもん)・芝雀(しばじゃく))、栄屋(さかいや)(中村仲蔵)、高砂屋(中村梅玉)、滝野屋(市川門之助・新車)、立花屋(市川八百蔵(やおぞう))、豊島屋(てしまや)(嵐芳三郎(あらしよしさぶろう))、天王寺屋(中村富十郎)、舞鶴(まいづる)屋(中村勘五郎・鶴蔵)、美吉屋(みよしや)(上村吉弥(きちや))、山城屋(坂田藤十郎)、吉田屋(嵐雛助(ひなすけ))などがある。