さん‐こう ‥カウ【三綱】
※
万葉(8C後)五・八〇〇・
題詞「未
レ験
二修行得道之聖
一、盖是亡
二命山沢
一之民、所以指
二示三綱
一更開
二五教
一、遺
レ之以
レ歌令
レ反
二其或
一」 〔
白虎通‐三綱六紀〕
さん‐ごう ‥ガウ【三綱】
※
令義解(718)
僧尼「凡僧尼自還俗者。三綱録
二其貫属
一。〈謂〈略〉三綱者。上座。寺主。都維那也〉」
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デジタル大辞泉
「三綱」の意味・読み・例文・類語
さん‐こう〔‐カウ〕【三綱】
儒教で、君臣・父子・夫婦の踏み行うべき道。「三綱五常」
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三綱【さんごう】
仏僧の寺内の諸事を統率する役務で,中国では上座(じょうざ)・寺主・維那(いな)または上座・寺主・典座(てんぞ)の三つ,日本では上座・寺主・維那または都維那(ついな)の三つ。上座は寺衆を統領し,一切を統轄。寺主は寺務をつかさどり,都維那は直接寺衆に事を伝達し,施物を分与したりする役職。後に已講・内供・阿闍梨(あじゃり)を有職(正三綱)というようになって以来,従来の三綱を権(ごん)三綱という。また別当・座主などの下ではこれに属する役職。
→関連項目上座|所司(仏教)
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さんこう【三綱 sān gāng】
君臣,父子,夫婦の道をいう。中国では,人間社会の上下の秩序を定め,人としての道を整える根本と考えられ,長いあいだかなりの規制力をもった。君臣等の関係を三綱と呼んだのは,前漢中ごろの作である《春秋繁露(しゆんじゆうばんろ)》の〈基義〉篇が最初である。そこでは陰陽説によって,それぞれの関係が相互的なものとして把握されている。さらにまとまった形で記述されるのは,後漢の《白虎通(びやつこつう)》の〈三綱六紀篇〉においてである。
さんごう【三綱】
寺内の僧尼を統轄し,庶務を処理する僧職。上座(じようざ),寺主(じしゆ∥てらじゆ),都維那(つゆいな∥ついな)(維那)の3者で,所司ともいう。すでにインドや中国南北朝で寺院の統轄者として,上座または寺主,もしくは都維那が置かれた。各寺院に一律に3者が置かれたのは唐代からで,《唐六典(とうりくてん)》に〈寺ごとに上座1人,寺主1人,都維那1人,ともに衆事を綱統す〉とある。日本でも7世紀中葉に一部の寺院に〈寺主〉の名が見えるが,8世紀には唐制にならって各寺院に三綱が置かれた。
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普及版 字通
「三綱」の読み・字形・画数・意味
【三綱】さんこう(かう)
人倫・秩序の基本。〔白虎通、三綱六紀〕三綱とは何の謂(いひ)ぞや。君臣・
子・夫
を謂ふなり。字通「三」の項目を見る。
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三綱
さんごう
各寺院におかれ,寺院運営・寺僧監督などにあたった僧職の総称。僧尼令以前の段階では,のちの僧綱(そうごう)に該当する僧官などを三綱と称した場合もあったが,律令の施行とともに上座(じょうざ)・寺主(じしゅ)・都維那(ついな)の3職が三綱として規定されたと考えられる。それぞれの職掌区分は明確でないが,共同して寺院資財の管理や堂舎の造営,僧尼の教導などにたずさわった。寺僧から選出され,僧綱・玄蕃(げんば)寮・治部(じぶ)省をへて太政官に申請,任命された。
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三綱
さんごう
古代,寺の諸事を統率する上座・寺主・都維那 (ついな) の3種の役僧の総称
寺内の僧侶を統轄し,寺務を処理し,寺の統治者であったが,のちに別当・座主 (ざす) などが寺の最高の地位につくと,その下に属する役僧の名称となった。
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世界大百科事典内の三綱の言及
【寺院】より
…また特定の大寺には勅額を下賜して保護を加える一方,無額寺院は不法の建造物として廃毀されることが多かった。 寺内の衆僧を統べ寺務を執る役僧に上座,寺主,維那の三綱があり,ともに寺僧の推薦によって選ばれた。寺院には僧のほかに,まだ得度していない童行,清掃や耕作などに従事する寺奴婢,寺戸がいた。…
【所司】より
…特定の官司の官人を指した用語ではない。(2)寺院の寺官である三綱(さんごう)(上座(じようざ),寺主(じしゆ),都維那(ついな))のこと。三綱の下に組織された専当(せんとう),中綱(ちゆうごう)などを下所司という。…
※「三綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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