正当防衛(読み)せいとうぼうえい

精選版 日本国語大辞典 「正当防衛」の意味・読み・例文・類語

せいとう‐ぼうえい セイタウバウヱイ【正当防衛】

〘名〙 自己または他人に加えられる急迫した不正の侵害に対し、これを防ぐためやむをえず行なう加害行為。刑法上、違法性を欠くものとして犯罪とならず、民法上は不法行為としての損害賠償責任を生じない。緊急防衛。正当防御。
郵便報知新聞‐明治二四年(1891)一一月一三日「我漁夫等は余義なく正当防衛として三人を殺し」

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デジタル大辞泉 「正当防衛」の意味・読み・例文・類語

せいとう‐ぼうえい〔セイタウバウヱイ〕【正当防衛】

急迫不正の侵害に対し、自己または他人の権利を防衛するためにやむをえずなされる加害行為。刑法上は違法性がないものとみなされて罰せられず、民法上も損害賠償責任を負わない。緊急防衛。→過剰防衛

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「正当防衛」の意味・わかりやすい解説

正当防衛
せいとうぼうえい

「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為」(刑法36条1項)。犯罪が成立するためには、構成要件に該当する行為、とくに他人の法益(生命、身体、財産など)を侵害する行為が違法なものでなければならないが、正当防衛は、違法でない場合(違法性阻却事由違法阻却事由)のもっとも典型的なものである。

 正当防衛は自然法的なものといわれるように、その歴史は古く、とくに近代以降各国の刑法典において、犯罪が成立しない場合のもっとも典型的なものとして明文で規定されるに至った。ただ、切迫した違法な侵害に対し、どのような場合に、いかなる範囲で正当防衛を認めるかという点になると、歴史的にかなりの変化がみられる。とくに、19世紀の西欧における自由主義的刑法観のもとでは、他人の権利を違法に侵害する者に対し、この権利を防衛することもやはり権利(正当防衛権)であるという考え方がみられ、正当防衛がかなり広く認められた。しかし19世紀末ごろになると、ドイツを中心に「旧派」(後期旧派)とよばれる規範主義的・権威主義的刑法観が支配的となり、国家による法秩序維持が重視され、個人による権利(さらに法益)の保全や回復を制限しようとする考え方が一般的となった。第二次世界大戦後のドイツやこの影響下にある日本でも、このような事情は変わっていない。日本の現行刑法第36条の正当防衛に関する規定は、1871年のドイツ刑法典第53条を範としたものであり、その解釈・運用も正当防衛の成立につき、厳格な要件を課している。

(1)「急迫不正の侵害」の「急迫」とは、侵害が「目前に迫っているか継続中」であることをいう。したがって、将来の侵害を未然に防止するためや過去の侵害から権利を回復するための正当防衛は認められない。ただ、過去の侵害に対しては、「自救行為」(または自力救済)が正当防衛より厳格な要件のもとで、違法性阻却事由として例外的に認められうる(ただ、日本の判例は、自救行為をほとんど認めていない)。次に、「不正の侵害」とは、一般に、客観的にみて、他人の権利に対する実害または危険を生じさせることと解されている。したがって、侵害者に故意や過失がなくてもよいし、責任能力がない場合(たとえば、刑事未成年者や心神喪失者)でも、これに対する正当防衛は認められうる。ただ、侵害が被侵害者の故意または過失により誘発される、いわゆる自招の侵害の場合、とくに喧嘩(けんか)につき正当防衛が認められうるか、が争われてきた。この点につき、かつての判例は、喧嘩両成敗の考え方に従って、これを否定していたが、その後の判例では、正当防衛の要件を満たす限り、その成立を認める余地がある、と解するに至っている。

(2)「自己または他人の権利を防衛するため」の意義につき、この場合の「権利」とは法益をさす。ここに国家法益や社会法益が含まれうるかが争われており、通説はこれを肯定するが、正当防衛は本来、個人の権利保全を国家が承認したものであるという理由から、これを否定する見解も有力である。また、とくに問題となるのは、防衛行為者に「防衛の意思」を要するか、という点である。通説・判例は偶然防衛(防衛の意思はないが、客観的にはたまたま正当防衛にあたる場合)や口実防衛(正当防衛の外観を装って相手方に侵害を加える場合)を正当防衛から除外するために防衛の意思が必要である、と解しているのに対し、違法か否かは客観的に判断されるべきであるから、客観的に正当防衛の要件を満たす限り、正当防衛を認めてもよい、という考え方が、有力になってきている。

(3)「やむを得ずにした行為」の意義につき、その要件と限界が大いに問題となる。この点につき、反撃行為が権利保全のために必要であること(必要性)を要するから、防衛行為として唯一または最善の方法である必要はないが、防衛しようとする法益と反撃行為により相手方に与える法益侵害とがバランスを欠く場合には、その要件を満たさない。たとえば、窃盗犯人を射殺しようとする場合などがそれである。しかし、どの程度の法益上のバランスを要求するかは、前述した正当防衛に対する理解の仕方により、広狭の差が生じる。なお、このバランスを失した場合には、刑法第36条2項のいう「防衛の程度を超えた行為」にあたり、この場合を「過剰防衛」といい刑の任意的減免事由とされる。

 ところで、正当防衛が「不正対正」の関係にあるのに対して、緊急避難は「正対正」の関係、すなわち、自己の災難を第三者に転嫁する場合であるから、緊急避難が認められるためには、他に方法がないこと(補充の原則)および法益のバランスが保たれていること(法益権衡の原則)が要求される(緊急避難につき刑法37条)。

 なお、民法上は、「他人の不法行為に対し、自己又は第三者の権利又は法律上保護される利益を防衛するため、やむを得ず加害行為をした者は、損害賠償の責任を負わない」(民法720条1項)とあり刑法とほぼ同様であるが、侵害を避けるために第三者に対してされた場合にも正当防衛とされる点が、刑法と異なる。この場合、被害者である第三者から不法行為者に対して損害賠償を請求することができる(同法720条1項但書)。

 また、国際法上、他国に対する正当防衛は自衛とよばれる。

[名和鐵郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「正当防衛」の意味・わかりやすい解説

正当防衛 (せいとうぼうえい)
self-defense

急迫・不正の侵害を受けたのに対し自己または他人の利益を守るためにやむをえずする防衛行為。この行為は違法性がないとされ,刑事上のみならず民事上の責任も問われない。本来,他人から不正の侵害を受けたときは,官憲の援助を受けるべきであるが,そのいとまのない場合には,個人に反撃を許すことが,侵害されようとしている利益を守るために,さらには法秩序を維持するために必要と考えられる。このような考え方は古くから広く承認されており,〈正当防衛は書かれた法ではなく生まれた法である〉とか〈正当防衛は歴史をもたない〉とかいわれるくらいである。なお,国際法上は自衛と呼ばれる。
自衛権

〈急迫不正の侵害に対して,自己又は他人の権利を防衛するため,やむを得ずにした行為は,罰しない〉(刑法36条1項)。侵害は〈急迫〉のものでなければならないから,将来に予想される侵害に対しては許されない。また,侵害が過ぎ去った後にも許されない。たとえば,盗まれてしばらくたった後で取り返すのは,もはや正当防衛ではない。ただし,自力救済として違法性が阻却されることはありうる。しかし裁判所は,違法阻却事由としての自力救済はなかなか認めないのが実情である。〈不正〉か否かは客観的に判断される。精神病者で責任能力のない者の侵害も不正である。Aの飼犬がBの飼犬にかみつこうとしたときは,犬は物であって人の侵害行為があったわけではなく,〈不正〉とはいえないから,これに対する反撃(いわゆる対物防衛)は緊急避難としてのみ許される(異説がある)。〈侵害〉は作為のみならず不作為でもありうる。例えば,他人の住居に入って要求を受けても退去しない場合などである。ただし最近の判例に,使用者側が団体交渉の申入れに応じないという単なる不作為が存するにすぎない場合には,これに対する正当防衛は認められないとするものがある。正当防衛は,ごく例外的には国家的法益や社会的法益を守るためにも許される。

 けんかの場合は,もと判例は〈喧嘩両成敗〉の見地からおよそ正当防衛は認められないとしていたが,近年はけんかであっても場合によっては認めうるとしている。しかし,相手をことさらに挑発した場合には認められない。

 防衛行為はやむをえずなされることを要するが,必ずしもその行為が唯一の防衛方法であることを要せず,また守ろうとする法益と反撃しようとする法益との厳密な均衡も要しない。この点で,緊急避難の場合と異なっている。しかし,ごく軽微な法益を守るために重大な法益を侵害するときは,もはや正当防衛ではなく,過剰防衛とされる。この場合は,違法性は阻却されず犯罪は成立するが,非難可能性・責任が減少するので刑を減軽または免除することができる(36条2項)。急迫不正の侵害が現実にはないのに,あると誤認して正当防衛のつもりで行為した場合は誤想防衛と呼ばれ,故意がないとされる。

 正当防衛の特例を定めたものとして,〈盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律〉(1930公布)の1条がある。これによると,〈盗犯ヲ防止シ又ハ盗贓ヲ取還セントスルトキ〉その他一定の場合において,〈自己又ハ他人ノ生命,身体又ハ貞操ニ対スル現在ノ危険ヲ排除スル為犯人ヲ殺傷シタルトキ〉は正当防衛になる。すなわち,〈やむをえず〉なされたことを要しないのである。さらに,このような場合には,現在の危険がない(したがって正当防衛の要件を満たさない)ときでも恐怖,驚愕,興奮,狼狽によって現場において犯人を殺傷したときは,やはり罰せられない。なお,正当防衛の場合には,警察官は武器の使用によって人に危害を与えることができるとされている(警察官職務執行法7条)。

〈他人ノ不法行為ニ対シ自己又ハ第三者ノ権利ヲ防衛スル為メ已ムコトヲ得スシテ加害行為ヲ為シタル者ハ損害賠償ノ責ニ任セス〉(民法720条1項本文)。これは刑法上の要件とほぼ同じである。過剰防衛や誤想防衛の場合には,不法行為とはなるが,公平の見地から過失相殺が認められることが多い。刑法上の正当防衛と異なる点は,不法行為者に対する反撃だけでなく,まったく無関係の第三者に対する侵害も,正当防衛とされることである。ただしその第三者は,もとの不法行為者に対して損害賠償を請求できる(720条1項但書)。
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百科事典マイペディア 「正当防衛」の意味・わかりやすい解説

正当防衛【せいとうぼうえい】

急迫不正の侵害に対して自己または他人の権利を防衛するためにやむを得ずにする加害行為(刑法36条)。違法性阻却事由の一つ。民法上も損害賠償の責任がない(民法720条)。刑法上の正当防衛は不法行為者自身に反撃する場合に限られるのに対し,民法上は加害行為が第三者に対してなされる場合(強盗から逃げるため他人の器物をこわす等)にも正当防衛となるが,この場合には被害者たる第三者から不法行為者への損害賠償の請求を妨げない。→過剰防衛緊急避難
→関連項目自力救済

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「正当防衛」の意味・わかりやすい解説

正当防衛
せいとうぼうえい

(1) 刑法上は,急迫不正の侵害に対し自己または他人の権利を防衛するためになす緊急やむをえない,社会観念上妥当性のある行為をいう。刑法は違法性阻却事由の一種として規定している (36条) 。正当防衛は侵害行為の現在性を要件とする点で過去の侵害に対する自救行為と区別され,違法な侵害に対する反撃という点で緊急避難とも区別される。また防衛に必要な相当程度をこえた行為は過剰防衛とされ,急迫不正の侵害がないのにこれありと誤信してなされた防衛行為は誤想防衛とされ,それぞれ正当防衛とは区別される。

(2) 民法上は,他人の不法行為に対して自己または第三者の権利を防衛するためやむをえず行う加害行為をいい,その加害行為は不法行為とはならない (720条) 。刑法と異なり不法行為者自身に対する反撃に限らず第三者に対する加害行為 (たとえば,強盗から逃れるため隣の垣根をこわした場合) にも正当防衛は認められる。ただし,第三者は不法行為者に対して損害賠償を請求することはできる。

(3) 国際法上の正当防衛は自衛権にかかわる。

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四字熟語を知る辞典 「正当防衛」の解説

正当防衛

自己または他人に加えられる急迫した不正の侵害に対し、これを防ぐためやむをえず行う加害行為。刑法上、違法性を欠くものとして犯罪とならず、民法上は不法行為としての損害賠償責任を生じない。

[使用例] それでお前が正当防衛でやっちまったのか[三島由紀夫*卒塔婆小町|1952]

[使用例] そのことのエゴイズムを自分で知らない訳ではなかったが、彼はそれを(正当防衛みたいなもの)だと考えていた[石川達三*青春の蹉跌|1968]

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とっさの日本語便利帳 「正当防衛」の解説

正当防衛

急迫不正の侵害に対し、自己または他人の権利を防衛するためにやむを得ずなされる加害行為。刑法上は違法性がないものとして罰せられず、民法上も損害賠償義務を負わない。

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報

世界大百科事典(旧版)内の正当防衛の言及

【緊急避難】より

…日本の刑法上は,自己または他人の生命,身体,自由もしくは財産に対する急迫(条文上は〈現在〉)の危難を避けるためにやむをえずした行為は一定の条件が備わっている場合,犯罪とならない(刑法37条1項)。緊急状態においてやむをえずした行為が,形式的には犯罪にあたるにもかかわらず犯罪の成立が否定されるという点では正当防衛と似ている。しかし,正当防衛においては,犯罪の成否が問題となっている当の行為者と被害者とは正対不正の関係にあるのに対して,緊急避難においては正対正の関係にある点で,両者は基本的に異なる。…

【盗犯等防止法】より

…昭和初年ころ,東京周辺に出没したいわゆる〈説教強盗〉などに対処するために,制定された法律である。全4条から成り立っているが,その主眼は,第1に,窃盗罪,強盗罪の一定の態様のものに対する正当防衛の成立範囲を広げること,第2に,常習・累犯者に対する刑を加重することの2点にある。 1条は,正当防衛の特例を規定している。…

※「正当防衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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