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大町桂月 おおまち けいげつ

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美術人名辞典の解説

大町桂月

詩人・随筆家・評論家。高知県生。名は芳衛。「文芸倶楽部」「太陽」などに随筆を書き美文家として知られた。晩年は旅を愛し、遠く朝鮮・満州に赴き、和漢混在の独特な美文で書かれた紀行文は広く読まれた。大正14年(1925)歿、57才。

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デジタル大辞泉の解説

おおまち‐けいげつ〔おほまち‐〕【大町桂月】

[1869~1925]詩人・評論家。高知の生まれ。本名、芳衛。雑誌「帝国文学」に評論や詩を発表。のち、紀行文を多く書いた。詞華集花紅葉」(共著)「黄菊白菊」、随想評論集「我が文章」など。

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百科事典マイペディアの解説

大町桂月【おおまちけいげつ】

詩人,評論家。本名芳衛。高知生れ。東大国文科卒。在学中から《帝国文学》の編集委員。また博文館に勤務するかたわら《文芸倶楽部》《太陽》等に評論を書き,また紀行文や随筆の美文で知られた。
→関連項目浅香社大和田建樹桂浜田中貢太郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大町桂月 おおまち-けいげつ

1869-1925 明治-大正時代の詩人,随筆家,評論家。
明治2年1月24日生まれ。帝国大学在学中から「帝国文学」に新体詩や文芸評論をよせた。明治33年博文館に入社,「太陽」などに評論を発表。のち各地の山水をたずねて紀行文をかいた。大正14年6月10日移住先の青森県蔦温泉で死去。57歳。土佐(高知県)出身。本名は芳衛。著作に「黄菊白菊」「文学小観」など。
【格言など】一日に千里の道を行くよりも,十日に千里行くぞ楽しき(「処世訓」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

大町桂月

没年:大正14.6.10(1925)
生年:明治2.1.24(1869.3.6)
明治大正時代の詩人,評論家,随筆家。大町通の3男。高知生まれ。本名芳衛。12歳のとき叔父を頼って上京するが,同年父,まもなく母を失う。すでに上京していた12歳年長の兄のもとで勉強し,明治20(1887)年,第一高等中学校入学,文学に親しむ。26年,帝国大学入学。武島羽衣らの創刊した『帝国文学』に,塩井雨江と共に美文,韻文を発表し,29年,3者による詩文集『花紅葉』刊行。古典を模倣した文体や主題は一定の評価を得,大学派,赤門派と呼ばれて,当時の詩壇に存在を示した。27年には雨江の妹長と結婚。島根の中学校教師を経て,博文館に入社。『太陽』『中学世界』などに毎号,評論,紀行文を掲載。31年刊の『黄菊白菊』は擬古典派の美文を収めている。「資性豪放,嗜むに酒を以ってす」といわれ,酒の失敗も多かったが,一方,各地を訪ねた紀行文はよく読まれた。著作集に『桂月全集』全13巻がある。<参考文献>福井久蔵著『日本新詩史』

(及川茂)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおまちけいげつ【大町桂月】

1869‐1925(明治2‐大正14)
明治期の随筆家,詩人,評論家。高知生れ。1880年上京し,96年東京帝大国文学科を卒業。在学中から《帝国文学》の編集委員になった,いわゆる赤門派(大学派)の文人。《美文韻文花紅葉》(武島羽衣,義兄塩井雨江との共著,1896),《美文韻文黄菊白菊》(1898)に詩人・美文家(美文)としての剛直な個性と文体が示されている。島根県簸川(ひかわ)中学(現,大社高校)を経て博文館に勤務するかたわら,《太陽》《文芸俱楽部》などに文芸評論・紀行文を発表,和漢古典や教育への関心も強く,伝統に基づいた進歩の立場を打ち出している。

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大辞林 第三版の解説

おおまちけいげつ【大町桂月】

1869~1925) 詩人・評論家。高知市生まれ。本名、芳衛。東大卒。「帝国文学」や「太陽」などを舞台に活躍。詞華集「花紅葉」、評論集「文学小観」、紀行文「奥羽一周記」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大町桂月
おおまちけいげつ

[生]明治2(1869).1.24. 高知
[没]1925.6.10. 青森,蔦温泉
詩人,随筆家。本名,芳衛。第一高等中学校を経て 1896年東京大学国文学科卒業。漢詩文,国文の教養を駆使して美文調の名文を書いた。著作はきわめて多く,『桂月全集』 (12巻,1922) に収められている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大町桂月
おおまちけいげつ
(1869―1925)

評論家、随筆家。高知市生まれ。本名芳衛(よしえ)。第一高等学校から帝国大学国文科に進み、1896年(明治29)卒業。在学中『帝国文学』創刊とともに編集委員となり、評論や新体詩などを発表した。卒業の年、同窓の武島羽衣(はごろも)、塩井雨江(うこう)と詩華集『美文韻文花紅葉(はなもみじ)』を刊行、その擬古的で優雅な作風が評判をよんだ。やがて博文館に入社、雑誌『文芸倶楽部(くらぶ)』や『太陽』などで硬派の評論家として活躍、評論集『文学小観』『我が文章』などを刊行した。一方、旅と酒とをこよなく愛す東洋的文人の風も有し、とくにその後半生は、『行雲流水』や『日本の山水』などを刊行、紀行文家として名声を獲得した。その死も、晩年愛した十和田湖に近い蔦(つた)温泉においてであった。[大屋幸世]
『『桂月全集』12巻・別巻1(1926~29・同書刊行会/再刊・1980・日本図書センター)』

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世界大百科事典内の大町桂月の言及

【蔦[温泉]】より

…泉質はボウ硝泉,泉温52℃。この地を愛し,幾度となく訪れた大町桂月の墓がある。付近には蔦沼をはじめとする〈蔦の七沼〉があり,新緑や紅葉の季節には観光客でにぎわう。…

【美文】より

…散文の変革の過程で,文語文の遅れを逆手にとって磨き上げたと言うべきものだが,その文学的感度は,一時的な盛行を見せた文語定型詩のレベルにほぼ等しい。雑誌《帝国文学》に拠ったいわゆる赤門派(大学派)を代表する大町桂月,武島羽衣,塩井雨江の合著《美文韻文花紅葉(はなもみじ)》(1896)や桂月の《美文韻文黄菊白菊》(1898)などに,定型の新体詩と並立することで生命力を保っている姿が見られるが,文語詩の変革や口語による詩または散文詩の登場によって歴史的意義を失った。【野山 嘉正】。…

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