母子保健(読み)ぼしほけん(英語表記)maternal and child health

日本大百科全書(ニッポニカ) 「母子保健」の意味・わかりやすい解説

母子保健
ぼしほけん
maternal and child health

母性ならびに小児の健康の保持・増進を図ること、またそのための事業、学問の分野。

[平山宗宏]

歴史

19世紀までは、おもにヨーロッパにおける母子の健康や生活を支援する慈善事業を中心とした福祉活動であった。歴史の古いヨーロッパの小児病院は孤児院から発展している。19世紀末ごろには病原微生物学の発展などにより、医学を基礎においた活動が可能になり、20世紀に入ってアメリカで当時の大統領W・H・タフトによる合衆国児童局の設立が行政的事業として行われた。これはすべての階級の子どもの幸福と生命の保護を目的としており、乳幼児の保護は母性の保護なしにはできないとする考えも取り入れられた。わが国では、昭和初期までに小児保健所の設立などの乳児死亡率を下げるための運動が始まり、皇太子(現明仁(あきひと)天皇)のご生誕を記念して母子愛育会が設立され(1934)、農村を中心として母子の死亡率を下げるための保健活動が愛育班のボランティアを中心として始められている。第二次世界大戦後はGHQ(連合国最高司令官総司令部)の指導のもとに、まず児童福祉法が制定され(1947)、同法の下で母子手帳の配布、妊産婦や乳幼児の健康診査・保健指導、未熟児医療、施設内分娩(ぶんべん)の推進などが行われた。1965年(昭和40)母子保健法が制定され、以後は同法の下で母子保健事業が進められている。この間、昭和初期まで乳児死亡率(出生1000人対)は100以上であったが(記録上最高は1918年の188.6)、1940年(昭和15)90.0、60年30.7、80年7.5、2000年3.2、06年2.6、と近年では世界最低の記録を更新している。妊産婦死亡率(出産10万対)もこの間に1940年228.6から60年117.5、80年19.5、2000年6.3、06年には4.8(実数は54人)まで低下している。

[平山宗宏]

活動の範囲

子どもの健康は受精に始まり、出生前の母体内から出生後に至るものであり、母親の心身の健康の影響を強く受けるので、母子の健康を同時に考えるという立場から、母子保健活動も行政サービスも、また研究も行われている。具体的には、母子の健康を損ねる因子を除去するという予防医学の立場からは次のごとき分野があげられる。(1)感染症対策、(2)栄養の過誤や不足などの問題、(3)先天異常の予防、(4)事故の予防、(5)物理的・化学的環境問題(環境汚染など)、(6)社会的環境問題・心の問題などであり、このための研究、健康教育の推進、保健・医療・福祉面での支援・サービスなどが付随しなければならない。一方、母子保健担当者はこれら多くの問題を解決するためのコーディネーターとしての役割を担う必要がある。

 また、平成に入るとともに少子化が問題となり始め、その対策として親の就労と育児の両立支援、育児不安軽減のための育児支援などが重要となり、そのための活動も母子保健に含まれるようになってきている。

[平山宗宏]

母子保健事業・行政

母子保健事業・行政は、母子保健法に基づき、国、都道府県市町村の各レベルにおいて、研究教育機関、民間専門団体、地域のボランティアグループなどが密接な連携をもって事業やサービスを展開している。その概要は以下のごとくである。

(1)保健対策として、妊娠届母子健康手帳の交付、保健指導、健康診査(妊産婦・乳幼児)、先天性代謝異常の検査(マススクリーニング)、B型肝炎母子感染防止事業など
(2)医療対策として、妊娠中毒症などの医療援護、未熟児養育医療、障害児に対する育成医療、小児慢性特定疾患治療研究事業、周産期母子医療センター、小児救急医療体制の整備など
(3)母子保健の基盤整備として、市町村活動の支援、健康教育・指導相談活動の支援、国レベルでの研究事業など
[平山宗宏]

母子保健関係の行政組織

国のレベルで母子保健行政の中心になるのは、厚生労働省雇用均等児童家庭局の母子保健課で、子ども家庭福祉関係は同局の総務課、保育課、育成環境課などが担当している。母子保健のなかで感染症予防や予防接種関係は健康局結核感染症課であり、その他母子の保健や福祉にかかわる部局は多い。文部科学省で学校保健を担当しているのは、スポーツ・青少年局学校健康教育課が中心である。都道府県と政令市では保健福祉担当部局のなかに母子保健を担当する課があり、出先機関として保健所が管下の市町村の連絡・調整・指導にあたる。1994年(平成6)に保健所法が地域保健法に変わり、母子保健法も改正されて対人保健サービスが原則的に市町村実施となったので(1997年から完全実施)、地域における母子保健サービスは福祉サービスともども市町村が責任をもって実施することになった。学校保健は都道府県と市町村の教育委員会が行う。

[平山宗宏]

これからの母子保健の方向

21世紀の母子保健のあり方については、厚生省時代から検討が行われており、新しい時代の母子保健を考える研究会報告(1989)、これからの母子医療に関する検討会報告(1992)などが出され、少子化対策としては、今後の子育て支援のための施策の基本的方向を示す「エンゼルプラン」(1994)と「新エンゼルプラン5か年計画」(1999)が策定された。2000年(平成12)には、21世紀における日本の健康づくり国民運動の指針として生活習慣病の予防を中心とした「健康日本21」が発表され、引き続いてその母子保健版ともいうべき「すこやか親子21」が策定された。これらは21世紀初頭10年間の課題と到達目標を示していたが、5年後に再検討が行われ、目標値の見直しなどが行われた。これらの施策にもかかわらず、少子化に歯止めがかからないため、「子ども・子育て応援プラン」(2004年12月)、「新たな少子化対策について」(2006年6月)を策定して母子保健事業を進めている。これには産科医療や小児救急医療の確保充実、生後4か月までの乳児がいる家庭への全戸訪問事業(こんにちは赤ちゃん事業)、子どもを守る地域ネットワーク機能強化、子育て支援の強化などを含んでいる。また、政府は2007年12月に「『子どもと家族を応援する日本』重点戦略」を取りまとめた。ここでは「就労」と「結婚・出産・子育て」は二者択一ではなく、仕事と子育ての両立と家庭における子育てを包括的に支援、働き方の見直しによる仕事と生活の調和の実現の両方を車の両輪として進めることとしている。なお「すこやか親子21」の概要は次の4本の柱である。

(1)思春期の保健対策の強化と健康教育の推進
(2)妊娠・出産に関する安全性と快適さの確保と不妊対策への支援
(3)小児保健医療水準を維持向上させるための環境整備
(4)子どもの心の安らかな発達の促進と育児不安の軽減
[平山宗宏]

『国分義行・岩田正晴著『母子保健学』(1978・診断と治療社)』『母子衛生研究会・平山宗宏著『母子保健テキスト』(1994・母子保健事業団)』『厚生省児童家庭局母子保健課監修『母子保健法の解釈と運用』(1997・中央法規出版)』『青木康子編『母性保健をめぐる指導・教育・相談1 ライフ・サイクル編』(1998・ライフ・サイエンス・センター)』『高野陽・柳川洋編『母子保健マニュアル』(2000・南山堂)』『『母子保健の主なる統計』各年版(母子保健事業団)』

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改訂新版 世界大百科事典 「母子保健」の意味・わかりやすい解説

母子保健 (ぼしほけん)
maternal and child health

母と子の健康を保持・増進させることを目的とした活動とそれを扱う医学の一分野をさす。母性の健康を保持・増進させる分野に母性保健があり,小児の場合には小児保健があるが,母子保健は両者を一体としてとらえたものといえる。母子保健のカバーする分野としては,疾病異常の予防,早期発見・早期対策,健康増進,健全育成などがあげられる。具体的内容としては,感染症の予防,栄養の問題,事故の予防,先天異常・心身障害の予防,母子の精神衛生,母子をとりまく物理・化学的環境の問題,社会的環境の問題,母子保健システム,地域母子保健管理,母子保健サービス,母子福祉などがある。

 歴史的には,大正時代に,当時出生1000対170もの高い乳児死亡率を減少させるため保健衛生調査会や小児保健所が設立されたのがその始まりといえる。その後1937年に保健所法が制定され,妊産婦と乳幼児の保健指導が結核とともに保健所の重要な事業とされた。その間,1934年には恩賜財団母子愛育会が設立され,日本の母子保健事業の発展に多大な貢献をしてきた。その後,母子保護法(1937),社会事業法(1938)の制定によって,母子に対する保護が公衆衛生と社会福祉の両面から考えられるようになり,さらに42年には現在の母子健康手帳(母子手帳)のもととなった妊産婦手帳の制度が設けられた。第2次大戦後は,47年に厚生省に児童局(1964年に児童家庭局となった)が設けられ,母子衛生課がおかれたこと,翌48年に児童福祉法が施行されたこと,65年に母子保健法が制定されたことなどにより,統合的な母子保健対策が一貫した体系で推進されるようになった。また,68年に母子保健推進員制度が,1958年から母子健康センターが市町村母子保健事業を推進させるために設置されるなど,母子保健の基盤整備が行われた。最近では,家庭が母子保健上で重要な機能を果たしていることから,家族構成員が協力して健康を保持・増進させようという家庭保健の理念のもとに母子保健を発展させることが報告されている(家庭保健基本問題検討委員会報告,1981年12月)。

 母子保健の水準の指標としては,乳児死亡率,新生児死亡率,周産期死亡率,妊産婦死亡(母性死亡)率,死産率,幼児死亡率(1~4歳の死亡率)などがあるが,近年これらの指標は著しく改善され,とくに乳児死亡率,新生児死亡率は世界的にも最低率グループの一つであり,周産期死亡率も満28週以後の死産比が高いことが指摘されてはいるが,諸外国と比べて遜色はない。他方,妊産婦死亡率は,近年著しく改善しているにもかかわらず,世界の先進国に比してなお目だって高い。これは日本では妊娠中毒症や出血による死亡が高いことによるものであり,母性保健面での改善が期待されている。幼児死亡率も欧米の先進国と比してなお改善の余地があり,とくに不慮の事故によるものが高率である。

 日本の近年の母子保健対策は,思春期から,妊娠,分娩,新生児,乳幼児期を通じて,保健・医療の面から一貫した体系で統合的にすすめられている。すなわち,母性・小児と切り離したものではなく,人間の一生のライフサイクルの中に位置づけられたものとされつつある。保健対策の面からは,妊娠届にもとづく母子健康手帳の交付にはじまり,妊産婦および乳幼児の健康診査,母子健康増進対策が行われている。保健指導は,婚前学級,新婚学級,母親学級,育児学級などの集団を対象とするものと,保健婦による訪問指導などの個人を対象とするものとに大別される。健康診査は母子の健康を守るために非常に重要なものであり,これには,(1)母子保健法で制定されている3歳児健康診査,(2)市町村の事業として心身障害児の早期発見・早期治療を目的として1977年から実施されている1歳6ヵ月児健康診査(94年の母子保健法改正により法定化された),(3)早期新生児を対象とした先天性代謝異常検査(フェニルケトン尿症,カエデ糖尿症,先天性副腎過形成症,ホモシスチン尿症,ガラクトース血症の五つの先天性代謝異常症を対象としている),(4)79年から実施されている先天性甲状腺機能低下症(クレチン症)のマススクリーニング(5)84年から実施されている神経芽細胞腫のマススクリーニングなどがある。健康増進対策としては母子保健体操の推進(1971),医療対策として,妊産婦死亡・未熟児・先天異常の原因として重要な妊娠中毒症対策,未熟児育成医療,身体障害児の育成医療,小児慢性疾患に対する治療研究事業,虚弱児対策などが行われている。これらの対策は,国,地方公共団体,医療機関,民間団体および家庭が一体となって展開する組織的活動である。

 社会的側面からの母子保健上の最近の問題点として,人口の老齢化による子どもの社会的負担の増加,核家族化による里帰り分娩の増加,保育所利用の増加,未熟な母親の増加,離婚の増加による母子家庭ないしは父子家庭の増加,勤労婦人の増加などが指摘されている。94年には,住民に対するより身近な母子保健サービスを提供することを目的として母子保健法の改正がなされ,4月より実施されている。おもな改正点は,(1)従来都道府県(保健所)が行うこととされていた妊産婦健康診査,乳幼児健康診査,3歳児健康診査,妊産婦訪問指導,新生児訪問指導などの基本的サービスは住民に身近に接する市町村で行われるようになったこと,(2)従来から市町村で行われていたが法定化されていなかった1歳6ヵ月児健康診査が母子保健法に規定されたこと,(3)従来から保健所で行われていた未熟児訪問指導,未熟児養育医療の専門的サービスはそのまま引き続き保健所で行われること,などである。この母子保健法の改正により,都道府県(保健所)と市町村の役割分担が明確化された。すなわち,市町村の住民密着型の基本的サービスに対し,保健所は市町村の連絡調整・指導・助言,専門的サービスを行うこととなった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「母子保健」の意味・わかりやすい解説

母子保健
ぼしほけん

じょうぶな子供を産み,健康に育てるという考えのもとに,母親と子供の健康保持と増進をはかること。死亡率の高かった乳児および妊婦の健康管理のため,児童福祉法による母子保健施策が実施されてきたが,1965年,母子保健法により健康教育の政策が強力に進められるようになった。保健所が中心機関となり,婚前教育から家族計画,妊産婦および出生後の子供についての保健知識の普及や指導,健康診断などが行われている。初めは障害をもつ者への保護対策に重点がおかれていたが,現在では予防医学として健康管理という面に重点がおかれている。

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世界大百科事典(旧版)内の母子保健の言及

【避妊】より

…この結果,家族計画の考え方は広く普及したが,当初から主としてコンドーム,ペッサリー,基礎体温法,オギノ式の使用が重点的に指導され,その影響が続いたため,現在用いられている方法には問題点が多い。1960年代になると,母子保健と人口増加抑制という二つの立場から,避妊の普及は世界的な重要課題となり,生殖生理学の進歩とともに多くの新しい方法が開発された。現在も,世界保健機関(WHO)が中心となって研究が進められている。…

※「母子保健」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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