日本大百科全書(ニッポニカ) 「水城(福岡県)」の意味・わかりやすい解説
水城(福岡県)
みずき
福岡県筑紫(ちくし)郡につくられた大宰府(だざいふ)防衛のための古代の土塁。百済(くだら)救援の役(白村江(はくそんこう)の戦い)敗戦後の664年(天智天皇3)、博多から大宰府に入るもっとも狭隘(きょうあい)な平地に、全長約1キロメートル、基底部幅40メートル、高さ13メートルの規模で築かれた。その後ふたたび新羅(しらぎ)との緊張が高まった765年(天平神護1)に、采女浄庭(うねめのきよにわ)を修理水城専知官に任じ、大宰府管内の防衛力強化のため修理をしている。水城は『日本書紀』に「水を貯(たくは)へしむ」とあることから、その機能について諸説あったが、1975年(昭和50)からの発掘調査により、水城の北側(博多(はかた)側)に接して、最深部4メートルの水濠(すいごう)が発見され、水城の外側に水を貯えたとする外堀説に帰結した。また水城・外堀の底に奈良時代前期の瓦(かわら)でつくった暗渠(あんきょ)排水路の存在も確認されていることから、天平神護(てんぴょうじんご)年間(765~767)に補修されたことが裏づけられた。
[酒寄雅志]
『藤井功・亀井明徳著『西都大宰府』(1977・日本放送出版協会)』