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屈原 くつげんQu Yuan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

屈原
くつげん
Qu Yuan

[生]宣王27(前343)頃
[没]頃襄王22(前277)頃
中国,戦国時代の楚の詩人,政治家。本名,平。原は字。楚の貴族の家柄で,初め懐王に深く信任され,三閭 (さんりょ) 大夫として楚の内政外交に活躍した。しかし懐王のあと即位した頃襄 (けいじょう) 王にその親斉反秦の方針が退けられ,江南に流された。その後各地を放浪した末,秦によって滅亡に瀕する祖国を見るに忍びず,汨羅 (べきら) の川に身を投じて終った。楚の民謡を基調とする新しい詩のジャンル楚辞の創造者かつ完成者で,代表作離騒』は,彼の悲運の生涯をもとに,その思想と感情を奔放な神話的幻想の世界に溶け込ませた長編の詩である。ほかに『九歌』『天問』『九章』などが彼の作とされる。

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デジタル大辞泉の解説

くつ‐げん【屈原】

[前340ころ~前278ころ]中国、戦国時代(そ)の政治家・詩人。名は平。原は字(あざな)。楚の王族に生まれ、懐王に仕え内政・外交に活躍したが、讒言(ざんげん)により次の頃襄(けいじょう)王の時に追放され、放浪の果てに、汨羅(べきら)に身を投じたという。「楚辞」に約20編の詩がある。代表作「離」「九歌」「天問」「九章」など。

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百科事典マイペディアの解説

屈原【くつげん】

中国,戦国時代の詩人,政治家。名は平。《楚辞(そじ)》の代表的作家とされるが,疑問点も多い。の貴族の出身。懐王,頃襄(けいじょう)王に仕える。博学で政治に明るく弁才があったため懐王の信任を得,との紛糾の中で内治・外交に活躍。
→関連項目ちまき(粽)

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世界大百科事典 第2版の解説

くつげん【屈原 Qū Yuán】

中国,戦国時代,国の人。一名は屈平(くつぺい)。《楚辞》の主要な作品の作者とされる。楚の貴族の出身である屈原は,楚の懐王の信任をえて内政外交の両面で腕を振るっていた。諸国の併呑をもくろむが,南方の大国である楚の力をはばかり,遊説家の張儀を遣(おく)って秦・楚の連合を説かせたとき,秦よりもと結ぶべきだと主張した屈原は,彼の才能をねたむ者たちの讒言(ざんげん)をこうむって,懐王から遠ざけられた。このとき屈原は漢北の地に蟄居したのだとされる。

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大辞林 第三版の解説

くつげん【屈原】

前343頃~前277頃) 中国、戦国時代の楚の詩人。名は平、原は字あざな。楚の王族出身。楚の国運回復に尽力したが、讒言ざんげんにより江南に放逐され、汨羅べきらの淵に投身。その憂憤・憂国の思いを吐露した「離騒りそう」をはじめ「天問」「九歌」などの作品が「楚辞」に収録されている。

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世界大百科事典内の屈原の言及

【詩】より

…《詩経》が北方黄河流域に発生したのに対し,《楚辞》は南方長江(揚子江)中流域,楚の国に生まれた。古い伝承によれば,《楚辞》は屈原とその弟子の宋玉らの作だという。なかでも,最も有名な〈離騒〉は,代表的な作者たる屈原が,みずからの世にいれられぬ苦悶をうたったものとして知られる。…

【楚辞】より

…苦悩と悲痛とを抽出し,それを幻想的な枠組みの中で表現する楚辞文学の伝統は,中国文学の一つの太い流れとして後世に受け継がれてゆくのである。なお楚辞の主要な作品の作者として楚国の王族であったという屈原が擬せられるが,どれだけが彼の作品であるのか,さらには屈原という人物が本当に楚辞とかかわっていたのかどうかについては,種々の議論がある。現行の楚辞のテキストは前漢の劉向(りゆうきよう)が校正したものにはじまり,後漢の王逸《楚辞章句》,南宋の朱熹(子)《楚辞集注》など多くの注釈がそれに付されている。…

【端午】より

…紅糸や五綵の紐をひじに結びつける長命縷も,元来はこの日の避邪の呪物であった。またこの日,湖南,湖北,江蘇,浙江,福建,広東などの南方の水郷地帯では,竜舟競渡(竜船競渡,ドラゴン・レース)が行われるが,これは,俗説では戦国時代の楚の詩人屈原が国を憂いながら汨羅(べきら)江に投身したのが,5月5日でその屍を救いあげる〈撈屍(ろうし)〉の行為が祭礼化したものとされる。竜舟は,船首に竜の彫刻や飾り物を施した舟で,競漕という娯楽としての要素のほかに,水死者の霊を慰め,同時に蛟竜水獣を鎮めて,水害を防ぎ,雨を乞い,五穀の豊穣を祈ったものである。…

【ちまき(粽)】より

…一般に5月5日の節供に食べたり贈ったりするが,この風習は5~6世紀ころの中国に始まる。初めは水神のささげ物とされたが,後に汨羅(べきら)のふちに投身した屈原(くつげん)の伝説と結びつき,彼の命日とされる5月5日にキビの餅をマコモで巻いて牛の角の形にしたものを湖や川に投ずるようになった。日本では平安時代から名が見られる。…

【中国文学】より


[楚辞]
 戦国時代,中国南部の長江(揚子江)流域でさかえた楚の国で起こった新しい韻文文学が〈楚辞〉である。その書は漢代に編集されるが,そのおもな部分は屈原の作25編で,祭礼の舞歌(《九歌》など)と独白体の〈賦〉(《離騒》など)の2類に分かれる。前者はかつては歌唱されていたであろうが,後者は初めから朗誦されたと思われ,句形は《詩経》より長く,韻のふみかたは1句おき(隔句韻)に定まっている。…

【天問】より

…質問の形式はとるが,その内容は中国古代神話・伝説についての基本資料の一つとなる。王逸の注は,楚の宮廷から追放された屈原が,楚の先王の廟の壁にかかれた神怪の図を見て,みずからの憤懣をこめつつ,その図に対する疑問を書きつけた,それゆえに編全体に秩序がないのだとする。ただ壁画を見てそれに書きつけたという説には懐疑的な学者が多い。…

【汨羅】より

…中国の戦国時代,屈原が投身自殺したとされる川。湖南省北東部にある。…

【ペーロン】より

…ただしその期日には地方差があって,端午節のほかに2月2日,3月3日,8月15日,9月9日などに結びついた事例もある。端午節の場合,汨羅(べきら)に身を投じた屈原(くつげん)の霊を弔うためとの説明が行われているが,これは後世の付会の説であろう。竜を形どった船の競漕は,中国では長江(揚子江)流域から華南にかけての地域に分布するが,その中には漢族だけでなく,少数民族も幾つか含まれている。…

※「屈原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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