中国、戦国時代の楚(そ)国の忠臣。名は平。原はその字(あざな)。楚の王室の一族。初め懐(かい)王(在位前328~前299)に仕えて左徒(副宰相)となった。博覧強記で古今の治乱に明るく、文章言辞にも優れていたうえに、内政外交の両面にわたって目覚ましい活躍をしたので、一時は懐王から厚く信任されていたが、彼の有能ぶりをねたむ同僚の上官大夫の讒言(ざんげん)によって、たちまち王の憤怒を買い、その地位を失った。
当時、楚と斉(せい)とは合従(がっしょう)の同盟国であり、屈原は、祖国の存続を図るためには、この南北の両国が盟約を固めて、残忍非道な秦(しん)にあたるほかはないと確信していた。しかし懐王は、目先の利欲に目がくらみ、連衡(れんこう)を唱える秦の策士張儀の甘言に欺かれて盟邦の斉と国交を断絶し、さらには張儀から多大の贈り物を受けた侍臣の靳尚(きんしょう)や、懐王の寵愛(ちょうあい)する美女鄭袖(ていしゅう)の意見に惑わされて、屈原の忠告も及ばず、ついに秦に近づき、果ては秦に大敗して領土を削られ、懐王自身も秦に捕らえられて、かの地で客死した。
ついで即位した頃襄(けいじょう)王(在位前298~前263)の初年、屈原と意見を異にする令尹(れいいん)(宰相)の子蘭(しらん)(頃襄王の末弟)は、上官大夫をそそのかして、屈原のことを頃襄王の面前でののしらせたため、それを聞いた王は怒って屈原を首都から追放した。以後、屈原は、祖国への忠誠と奸臣(かんしん)たちへの憤怨(ふんえん)を抱きつつ、都の郢(えい)(湖北省江陵県)を去って洞庭湖のあたりを放浪し、最後は汨羅(べきら)(湖南省湘陰県の北を流れる川)に身を投げて死んだ。その日は旧暦5月5日、端午(たんご)の節供にあたっていたという。この日に、ちまきをつくって食べる習俗があるのは、屈原の亡魂を祭る行事に由来するものであり、またこの日に、竜船をこいで競争する風習も、汨羅に身を投げた屈原の霊魂を救う祭事から出たものだといわれる。
古来、屈原は、楚辞(そじ)文学の創始者と称せられ、かの有名な「離騒(りそう)」をはじめ「九章」の各編や「九歌」「天問」などの諸編は、いずれも彼の傑作と絶賛されている。しかし、これらの作品の形式や表現を相互に比較検討してみると、かならずしも彼の自作とは認めにくい点が多々あり、むしろ宋玉(そうぎょく)ら後世の辞賦(じふ)作家によって次々とつくり継がれた可能性のほうが大きい。おそらく屈原の死後、楚国が衰亡していく過程で、この悲運の忠臣を追慕する人々の手になった、一連の民族的英雄詩であると思われる。
[岡村 繁]
『目加田誠著『屈原』(岩波新書)』
中国の作家郭沫若(かくまつじゃく/クオモールオ)の五幕戯曲。1942年作。戦国時代、楚(そ)の高官であり『楚辞』の作者でもあった屈原を主人公とし、斉(せい)と同盟して秦(しん)にあたれとする彼の策が、反対派の王子、奸臣(かんしん)、王の寵姫(ちょうき)などの陰謀によって懐(かい)王にいれられず、かえって追放、投獄される悲劇を描く。屈原の愛国主義と彼を陥れる陰謀との対照に、抗日戦中の国民党による言論統制、共産党弾圧への批判を込めた作品。42年重慶(じゅうけい/チョンチン)で初演されて大きな反響をよんだ。日本でも53年(昭和28)前進座により初演。以後同座および同座脱退後の河原崎長十郎により数回上演されている。なお作者にはこれに先だち屈原論に「離騒」の現代語訳を付した『屈原』(1935)があり、屈原に対する早くからの関心を示している。
[丸山 昇]
『須田禎一訳『屈原』(岩波文庫)』
中国,戦国時代,楚国の人。一名は屈平(くつぺい)。《楚辞》の主要な作品の作者とされる。楚の貴族の出身である屈原は,楚の懐王の信任をえて内政外交の両面で腕を振るっていた。諸国の併呑をもくろむ秦が,南方の大国である楚の力をはばかり,遊説家の張儀を遣(おく)って秦・楚の連合を説かせたとき,秦よりも斉と結ぶべきだと主張した屈原は,彼の才能をねたむ者たちの讒言(ざんげん)をこうむって,懐王から遠ざけられた。このとき屈原は漢北の地に蟄居したのだとされる。懐王は秦の口車に乗って秦に入り,捕虜となって死んだ。次いで,即位した頃襄(けいじよう)王も,弟の子蘭らの讒言を聴いて屈原をうとんじたため,放逐された屈原は洞庭湖周辺の江南の荒野を放浪した。やがて,秦の軍が楚の都の郢(えい)を陥(おと)すと,絶望した屈原は汨羅(べきら)の淵(湖南省長沙にある)に身を投げて死んだ。このような波浪の多い不遇の生涯の中で《楚辞》の離騒,九歌,九章,天問などの諸篇が生み出されたとされる。
ただ彼の伝記としては《史記》屈原伝がほとんど唯一のものであるが,その記述には矛盾が少なくなく,また《楚辞》の諸作品を屈原の生涯と結びつけねばならない必然性に欠けるところから,《楚辞》を屈原の伝記と切り離して理解しようとする考え方もある。なお魏晋南北朝以降,民間伝承の中で屈原は水の神としての性格を強めていった。そうした伝承の中では,屈原は5月5日に水中に身を投げ,その彼を救うために竜船(ペーロン)による競争が始まったとされ,また水中で竜に苦しめられている彼に食料を送るため粽(ちまき)が作られたのだともされる。現在もなお,湖南省一帯に屈原とその娘の女(じよしゆ)の伝説が流布している。
執筆者:小南 一郎
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前340~前278
戦国時代の楚(そ)の王族,詩人。懐王のとき讒言(ざんげん)によって退けられ,頃襄(けいじょう)王のとき都を追放され,流浪憂憤のうちに汨羅江(べきらこう)に投身,溺死したという。『楚辞』のなかの「離騒」「天問」「九章」などが彼の作品。
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…《詩経》が北方黄河流域に発生したのに対し,《楚辞》は南方長江(揚子江)中流域,楚の国に生まれた。古い伝承によれば,《楚辞》は屈原とその弟子の宋玉らの作だという。なかでも,最も有名な〈離騒〉は,代表的な作者たる屈原が,みずからの世にいれられぬ苦悶をうたったものとして知られる。…
…苦悩と悲痛とを抽出し,それを幻想的な枠組みの中で表現する楚辞文学の伝統は,中国文学の一つの太い流れとして後世に受け継がれてゆくのである。なお楚辞の主要な作品の作者として楚国の王族であったという屈原が擬せられるが,どれだけが彼の作品であるのか,さらには屈原という人物が本当に楚辞とかかわっていたのかどうかについては,種々の議論がある。現行の楚辞のテキストは前漢の劉向(りゆうきよう)が校正したものにはじまり,後漢の王逸《楚辞章句》,南宋の朱熹(子)《楚辞集注》など多くの注釈がそれに付されている。…
…紅糸や五綵の紐をひじに結びつける長命縷も,元来はこの日の避邪の呪物であった。またこの日,湖南,湖北,江蘇,浙江,福建,広東などの南方の水郷地帯では,竜舟競渡(竜船競渡,ドラゴン・レース)が行われるが,これは,俗説では戦国時代の楚の詩人屈原が国を憂いながら汨羅(べきら)江に投身したのが,5月5日でその屍を救いあげる〈撈屍(ろうし)〉の行為が祭礼化したものとされる。竜舟は,船首に竜の彫刻や飾り物を施した舟で,競漕という娯楽としての要素のほかに,水死者の霊を慰め,同時に蛟竜水獣を鎮めて,水害を防ぎ,雨を乞い,五穀の豊穣を祈ったものである。…
…一般に5月5日の節供に食べたり贈ったりするが,この風習は5~6世紀ころの中国に始まる。初めは水神のささげ物とされたが,後に汨羅(べきら)のふちに投身した屈原(くつげん)の伝説と結びつき,彼の命日とされる5月5日にキビの餅をマコモで巻いて牛の角の形にしたものを湖や川に投ずるようになった。日本では平安時代から名が見られる。…
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[楚辞]
戦国時代,中国南部の長江(揚子江)流域でさかえた楚の国で起こった新しい韻文文学が〈楚辞〉である。その書は漢代に編集されるが,そのおもな部分は屈原の作25編で,祭礼の舞歌(《九歌》など)と独白体の〈賦〉(《離騒》など)の2類に分かれる。前者はかつては歌唱されていたであろうが,後者は初めから朗誦されたと思われ,句形は《詩経》より長く,韻のふみかたは1句おき(隔句韻)に定まっている。…
…質問の形式はとるが,その内容は中国古代神話・伝説についての基本資料の一つとなる。王逸の注は,楚の宮廷から追放された屈原が,楚の先王の廟の壁にかかれた神怪の図を見て,みずからの憤懣をこめつつ,その図に対する疑問を書きつけた,それゆえに編全体に秩序がないのだとする。ただ壁画を見てそれに書きつけたという説には懐疑的な学者が多い。…
…中国の戦国時代,屈原が投身自殺したとされる川。湖南省北東部にある。…
…ただしその期日には地方差があって,端午節のほかに2月2日,3月3日,8月15日,9月9日などに結びついた事例もある。端午節の場合,汨羅(べきら)に身を投じた屈原(くつげん)の霊を弔うためとの説明が行われているが,これは後世の付会の説であろう。竜を形どった船の競漕は,中国では長江(揚子江)流域から華南にかけての地域に分布するが,その中には漢族だけでなく,少数民族も幾つか含まれている。…
※「屈原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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