日本画家。下総(しもうさ)(茨城県)古河(こが)藩士河鍋喜右衛門の次男として生まれる。幼名周三郎。俗称洞郁。生後まもなく、父が幕府定火消同心甲斐(かい)家の株を買って同家を継いだために、一家で江戸に出る。幼くして浮世絵師歌川国芳(うたがわくによし)に入門した。1840年(天保11)狩野(かのう)派の絵師前村洞和、翌年その師狩野洞白陳信に師事し、1849年(嘉永2)に師から号洞郁、名陳之(のりゆき)を与えられた。一時入婿したが離縁し、のちに鈴木其一(きいつ)の次女と結婚してふたたび河鍋姓に戻り、狂斎と号した。おもに狩野派と浮世絵を折衷した画風の作品を描いたが、1869年(明治2)官を誹謗(ひぼう)した風刺画のために投獄され、以後暁斎と改めた。別号に如空、酒乱斎、惺々狂斎などがある。なお暁斎には幽霊や妖怪(ようかい)を描いた作品もあるが、幕末から明治前期にかけての動乱した社会に対する厳しい観察を通して、その特異な時代感覚を表現した作品が多い。著書に『暁斎画談』がある。
[玉蟲玲子]
『佐藤道信著『日本の美術 河鍋暁斎と菊池容斎』(1993・至文堂)』▽『芳賀徹編『河鍋暁斎画集』(1994・六耀社)』▽『大野七三著『河鍋暁斎』(1994・日本図書刊行会)』▽『木下直之著『河鍋暁斎』(1996・新潮日本美術文庫)』▽『及川茂著『最後の浮世絵師』(1998・日本放送出版協会)』▽『京極夏彦文、多田克己編『暁斎妖怪百景』(1998・図書刊行会)』
幕末・明治前期の画家。下総国古河(現,茨城県古河市)の藩士の家に生まれる。幼時より画才を発揮し,7歳にして歌川国芳の門に入り,浮世絵を修業。10歳で狩野派の前村洞和に学び,続いて狩野洞白に学ぶ。しかし,流派に縛られることを嫌い,狩野派から早々に独立する。最初は貧窮していたが,葛飾北斎の画風に影響されて,戯画の世界にテーマを見いだし,狂斎と号して人気を得た。豪放磊落(らいらく),酒を好んでつねに離さず,また奇行をもって知られる。1870年(明治3)10月,上野の不忍池弁財天境内の料亭の書画会で,酔いにまかせて描いた戯画が,政府要人を風刺したものだと密告されて3ヵ月間拘留される。放免後,暁斎と改名する。71年から80年にかけて,仮名垣魯文(かながきろぶん),服部応賀などの著作の挿絵を盛んに描く。1874年,魯文と組んで日本で最初の漫画雑誌である《絵新聞日本地(につぽんち)》を創刊。山水花鳥画,風俗画,妖怪画から美人画にいたるまで描き,多才かつ多作で,明治10年代には〈北斎漫画〉風の戯画絵本を多数版行した。
執筆者:清水 勲
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(内藤正人)
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