改訂新版 世界大百科事典 「法意識」の意味・わかりやすい解説
法意識 (ほういしき)
law-consciousness
Rechtsbewusstsein[ドイツ]
〈法意識〉ということばは,人が法について持っている知識,意見,思想,信念,感覚,感情,態度,表象,観念などを包括的に指すことばであるが,通常きわめて多義的に用いられる。しかし,その語義は大きく二つに分けることができる。(1)法規範や法制度の内容に関わるもの。これは,さらに現行の実定法の規範や制度についての知識(または,特定の状況におけるそれの自覚)を表すものと,それらに対する支持とか反感とかの感情や意見,さらには現行のものではなく,人が望ましいと考える法規範の内容を指すものとに分けられる。(2)抽象的な観念像としての〈法〉に関するもの。法とはどのような性質のものであり,どのように作用し,社会においてどのような意義を持つものであるかなど,要するに〈法とは何か〉についての考え方ないし表象を指す。これら2群の語義を別のことばで言い換えれば,(1)を〈法知識〉および〈正義感覚〉,(2)を〈法観念〉と呼ぶことができよう。
意義
社会の一般の人々の法知識の水準が高いことは,法システムの円滑な作用にとって有利な条件であり,また一般的には,人々の法遵守行動を支える条件でもある(もっとも,法網をくぐるために法知識を磨く人もいる)。しかし現代のように,実定法のカバーする範囲が膨大となり,内容が複雑をきわめるようになると,一般人があらゆる法分野について正確な法知識を持つことは期待しえず,むしろ,必要な場合にどのようにして,だれから法的助言を受けるかに関する知識ないし態度が重要となる。
実定法規の内容が,社会の一般人の正義感覚とおおむね一致したものであることは,法システムの有効な作用の不可欠の条件である。利害の対立を含む法的な問題について,人々が正しいと考えるものと著しくかけはなれた処理のしかたを法がしばしばとるとすれば,それだけ人々は法に対する一般的な支持や信頼や親しみの気持ちを失い,法の一般的な威信も失われるであろう。とはいえ,社会の内部の利害や価値観は多様であり,近代社会ではその多様性および変化の激しさはますます大きくなる。したがって,実定法がつねに人々の一致した正義感覚に合致した内容を持つということは不可能であり,むしろ,人々の多様な正義感覚をくみ上げつつ公的な合意へと統合していく民主主義的なメカニズムが重要となり,その手続によって実定法の正当性が確保されることになる。実定法は,立法,司法および行政におけるそのような統合のプロセスを通じて,変化する社会の法意識にたえず適応していくことが要求される。
人々の法知識や正義感覚は,(たとえば,交通法規,借家,税金などの)法分野によっても,またその人の職業その他の社会的地位によっても相当異なることは明らかであり,また社会情勢に従って急速に変転する。それに対して法観念は,そのような社会内部での(たとえば,階級などによる)変差がまったくないわけではないが,それほど大きくはなく,むしろ,基本的な点において,その社会の文化的な伝統に根ざした共通性を示すところに特徴がある。時間的にも,それは社会制度や社会構造のかなり根本的な変動にもかかわらず,根強い持続性を示す。法観念は,実定法の規範や制度の内容のみならず,弁護士,裁判官,検察官などの業務処理を通じてそれらの運用をも規定し,また一般人による法制度の利用のしかたや,それに対する態度にも強い影響を及ぼすのであり,その結果として,法システムに,〈法文化〉と呼ばれる共通の性格を刻印する。とはいっても,歴史的・長期的にながめれば,ある社会の法観念も,過去の各時代の法システムとの民衆の接触の経験の積重ねの結果としてしだいに形成され,変遷してきたものと考えられるのであり,将来についても同じことがあてはまるはずである。
日本の法観念
日本の法システムが,明治以来,西欧近代型の法システムの移入により創出されたものであることから,日本の文化的伝統に根ざす法観念の基本的な特色が,公式の法システムの前提するものとずれており,そこから法システムの有効性の減殺とか,制度の本来の趣旨からの逸脱とかいったさまざまの問題を生んでいるということが指摘されている。この問題は,とくに民事紛争における裁判手続の利用行動をめぐって,主として〈権利意識〉との関連で論じられることが多い。しかし,上記のような法観念のずれは,その局面に限らず法およびその作動のあらゆる局面に見られるのであり,実定法のみならず社会秩序一般についての(たとえば,義理の観念にも現れているような)基本的な考え方の特徴を反映するものと考えられる。
日本における基底的な秩序観念の原理的な特徴は,次の3点に要約することができよう。すなわち,(1)社会秩序の要求を表すルールそのものに強い拘束力を認めてそれを厳格に一貫したしかたで適用することを重視するよりは,個々のケースにおける具体的な事情に即した解決結果を優先的に考慮する傾向。(2)社会的ルールを,社会成員間の合理的な共存を可能にするための道具としてながめ,現実の要請に応じて自由に作り出し変更すべきものと見るよりは,むしろ,それ自体として象徴的・表出的な価値を持つ,神聖で動かすべからざるものと考える傾向。(3)実定法規範や裁判などの国家の法機構を,合意や慣習や内在的原理に基づいて社会生活の現実の中ですでに拘束力を得ているルールを実現し保障するための装置として見るよりは,現実の生活とは無関係な秩序を強制的に押しつける外在的な力として見る傾向。これらの要素は相互に密接に関連しつつ作用しており,たとえば,日常の社会関係において予期に反することが生じた場合に関係当事者が従うべきルールをあらかじめ明らかにしておくことに対する無関心,契約をめぐる争いの場合にそのつど当事者の協議によって解決すればよいとする習慣,権利観念の欠如,国家の法や裁判に対する猜疑や忌避の態度,法律の運用における極度の形式主義と,ときに恣意的な裁量行使との共存,一度成立した法律の改正がきわめて困難となる傾向,総じて,眼前のケースだけでなく他の類似の数多くのケースにも一般的に当てはまる適切なルールを形成し,修正し,育ててゆくよりは,むしろルールを棚上げして個別的な融通をきかすことによって現実の要求に対処しようとする傾向など,しばしば指摘される特色は,これらの諸要素のさまざまな組合せによって説明しえよう。
このような秩序観は,それなりの長所を持っており,日本に特有の文化的伝統の表れとして,独特の型の法秩序を作り上げる基礎となりうるかもしれないが,それが永続的な有効性を獲得するためには,近代社会に共通の秩序の基本的要請に適合するように変容されることが鍵といえよう。その要請とは,法機構が,社会内部の多様な利害と価値とを適切に統合し,かつ急激な環境変化に対処しうる合理的な公的決定のメカニズムとして作用する,ということである。
→権利意識
執筆者:六本 佳平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報