弁護士,検察官,裁判官の総称であって,法律実務家という観念に近いが,法学者を含むこともある。
英米法系の各国においては,これらの法律的職業に一体感が強く,リーガル・プロフェッションlegal professionという単数形でこれらを包括するのがならわしであるが,ローマ法系の国においては,それぞれの職業に独立性,排他性が強く,英米法系の国のように単一の職業の機能的分化と見る風習が定着しない傾向がある。
明治以来,ローマ法系に属するドイツやフランスの司法制度の強い影響を受けた日本でも,法曹間における一体感は希薄であり,むしろ在朝法曹(判事,検事)と在野法曹(弁護士)との対立が基調をなした。判事と検事との間には一体感が見られ,この両者は採用試験(判・検事登用試験),合格後の養成制度(司法官試補)において共通であり,弁護士の試験(弁護士試験),養成制度(当初は不存在,のちに弁護士試補)と異なっていた。1914年,判・検事と弁護士について共通の高等試験司法科試験が,施行されるようになった後も,養成制度は依然として前者が司法官試補として共通の訓練・教育を受けたのに対し,後者は弁護士試補として,別異の養成制度に服した。
第2次大戦後に至ってようやく,法曹3者とも共通の試験(司法試験)を受け,合格者はすべて司法修習生という共通の養成過程を経るようになって,3者間にある種の一体感が醸成されるに至ったことは否定できない。しかしさまざまな理由から,一体感の程度は今も英米法系の諸国に比べると希薄である。
イギリスでは中世以来,弁護士(バリスター)の団体が弁護士の養成を行い,弁護士の資格を有する者のなかから裁判官が選任されるという慣行が確立した(イギリスには古来,検事制度がなく,訴追の役割も弁護士が行う)。中世においては,上位の弁護士(サージャントserjant)と裁判官とは同一のギルド(サージャンツ・インSerjant's Inn)に属し,起居までともにしたのであって,ここから生まれる一体感は,今日もなお脈々として伝わっているといわれる。裁判官は出身弁護士会(Inn)の評議員として枢要な地位を占める。今日でも,上位の裁判官は必ずバリスターから選ばれるのであって,大学教授といえどもバリスターの資格がなければ裁判官にはなれない。
アメリカにおいても,裁判官はほとんど例外なく弁護士(または検察官)から選ばれるが,大学教授から選任されることもある。この点において,アメリカの大学教授はイギリスの場合よりも法曹として意識される程度が強いといえる。現に大学教授としての資格において,公益的事件の弁護活動を行う例もまれではない。
前述のように,第2次大戦後の日本においては,実務法曹の採用・養成制度こそ単一化されたものの,司法研修所の過程を終えれば,それぞれ判事,検事,弁護士という別個の職業に分かれ,それぞれの職業に伝統的に付着したエートスに同化していく傾向がある。英米法系の諸国のように,全員が弁護士になり,かなり長期の弁護士生活経験者のなかから裁判官を選任するという,いわゆる法曹一元の制度が望ましいという主張がある。戦前にも1938年にこのような法曹一元制度を骨子とする法案が衆議院を通過したことがあり,戦後の司法制度(とりわけ判事補制度)はこのような制度を前提として構成されているという有力な学説もある。しかし,この案件を含む司法制度の諸問題の審議に当たった臨時司法制度調査会は,〈望ましいものであるが時期尚早〉という趣旨の結論を出し,当面この問題は打ち切られた形になっている。
執筆者:古賀 正義
ヨーロッパでは12~14世紀に,法律家(法曹)という一つの新しい社会集団が成立する。それは,社会的出自や司法・行政上の官職ないし機能と関係なく,法的処理に対する一定の能力と,これと結びついた社会的通用性によって特徴づけられる人間集団(職業身分)である。その職業的能力およびプレステージの基礎となったのはローマ・カノン法(学識法)の勉学であり,これは12世紀以来ボローニャに,またボローニャを範にしてヨーロッパ各地に成立する大学で行われた。
このような(大学で教育を受けた)学識法律家は,まず第1に教会に進出した。聖職者として教会行政の分野でも活動したが,とくに重要なのは,12世紀末以降オフィキアラトゥスofficialatus(司教の任命するオフィキアリスofficialisの役所=司教区教会裁判所)の発達にともない,この新しい裁判官職を占めていったことである(学識裁判所の先がけ)。ついで世俗君主や都市にも仕えるようになるが,最初は行政や外交の分野で一般的助言者(顧問)としてである。ようやく第2段階になって世俗の裁判所に登場するのである。
イタリアでははやくも12世紀に法律家身分が形成されており,フリードリヒ2世の宮廷では法律家団が重要な役割を演じている。フランスでは法律家(レジストlégiste)が13世紀中葉以降国王に仕えているが,同世紀末にはパリの高等法院(パルルマン)の裁判官の過半数を法律家が占め,14世紀に入ると独占するところとなった。ドイツでは法律家(ユリストJurist)という外来語が1300年ごろには定着して用いられており,ルドルフ1世以来,法律家はつねに国王の顧問会に席を占めている。15世紀には王室裁判所に姿をみせはじめ,1495年帝室裁判所の創設に際しては,裁判官の半数は法律家によって構成されねばならない(他の半数は貴族)と明確に規定された。ヨーロッパ各地にみられる〈ローマ法の継受〉という現象は,まさにこのような学識法律家の社会的受容の過程としてとらえることができるものである。彼らは法生活の学問化(合理化)をもたらしただけではなく,近代的官僚制国家の創造に決定的な役割を演じた(専門的な行政技術,法技術を有する官僚として)のである。
もちろん,それぞれの社会によって法律家階層のあり方には相違が認められる。たとえばフランスでは,すでに14世紀にパリの高等法院を中心に学識裁判官層の形成がみられたが,国王の任命に対する候補者の提案権(なによりも高等法院の弁護士から選ばれた)を獲得,さらに官職の売買・相続制が結びつき,絶対王政下に法服貴族(富裕なブルジョアジー出身の官僚貴族)を構成することになった。弁護士もバロbarreauxにみられるようにアンシャン・レジームの有力な政治団体を組織した。16世紀中葉以降各地の慣習法の研究および相互比較が飛躍的に発展し,フランス普通法droit français communの探究による法統一が目ざされた。その際,大学教授層よりむしろ司法官僚を中心とする実務家層(もちろんローマ・カノン法の学識を備えた)の寄与が大きい。ドイツでは,帝国裁判官を軸とする統一的な法律家階層は未成立に終わり,領邦国家の確立にともなう官僚裁判官層の形成をみた。弁護士は15~16世紀を頂点に社会的地位を低下させ,領邦の国家権力に対抗しうるだけの社会階層に発展しなかった。こうした実務家層の未成熟の中で,制度的には同じく領邦の官僚メカニズムに組み込まれながらも,大学の法学教授層が実用的なドイツ普通法学を創造し,法形成の直接的担い手となった。
イギリスでは大陸諸国と同じ時期に法律家身分が成立するが,その養成のための基礎は学識法ではなかった。12~13世紀の間は,カノン法やローマ法の基礎教育を経ていた国王裁判官が存在したが,13世紀末に決定的な方向転換が生じた(1292年の令状でエドワード1世は,法律家は諸カウンティから選び出されてウェストミンスターの法廷で養成されるべき旨を命じた)。14世紀にはインズ・オブ・コートができ,独特の法学教育の形態がつくり出された。上位の弁護士(サージャント,のちにはバリスターbarrister)が〈法曹一元〉の制度のもとに裁判官と一体感をもち,経験的・技術的な法学教育によるギルド的形態での法律家養成を行った(これがコモン・ローの中核的な担い手となる)。下位の弁護士たるアターニーattorneyは裁判所の監督に服すべき存在とみられていたが,16世紀にバリスターとは独立の法律家層を形成し,新たに成立したソリシターsolicitorとともに一つの階層にまとまっていった。イギリスは法律実務家の国であり,法形成における指導的地位は法曹一元の裁判官が占め,大学の法学者による寄与は大陸に比べてずっと低い。
執筆者:佐々木 有司
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司法制度の担い手として法律実務に従事する者。今日の司法制度が裁判官、検察官および弁護士の三者により担われているところから、一般的にはこれら法曹三者をいうが、司法官(裁判官)のみをさす場合もある。わが国では司法制度が三者一体となって運営されるべきものという趣旨から、法曹養成の第一段階では、司法修習生の制度により、これら法曹三者は統一的に養成される。
[名和鐵郎]
…また平安宮の東南の隅を〈鳥の曹司〉というが,ここはもと主鷹司という役所があったため,その廃止後も名称のみが残ったのである。《続日本紀》天平宝字2年(758)9月条に〈明法曹司言〉とあるのは,官庁を抽象的に表した用例で,後に〈法曹〉の語を生む。その早い例は平安末期成立の《法曹類林》《法曹至要抄》などの書名に見ることができる。…
…冷戦の間にも移住の希望は強く,西ドイツはこれを支持していたが,これがみたされず,やっと原則として〈帰国〉できるようになってみると,今度は〈母国〉のつごうがよくなくなっている,という苦しい状況を強いられている。【永井 清彦】
【法制史】
13世紀末ころには,法律家Jurist(法曹)という新しい社会集団がドイツに成立した。彼らは中世の封建社会に存在した〈民衆の共有財産としての法〉の担い手であった審判人Schöffeといった法名望家とは異なり,特殊専門化された外国法(ローマ・カノン法)の学識者として,それまでの〈慣習法〉〈民衆法〉と対立する新しい〈学識法〉〈法曹法〉を創造していったのである。…
※「法曹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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