洞春寺跡(読み)とうしゆんじあと

日本歴史地名大系 「洞春寺跡」の解説

洞春寺跡
とうしゆんじあと

[現在地名]萩市大字堀内

指月しづき山の南西麓、萩城本丸西門の北西、二の丸内にあった毛利元就の菩提寺。現在は夏蜜柑畑の中に石垣・参道石畳・井戸が残る。

元亀四年(一五七三)毛利元就の三回忌に、その菩提寺として孫の輝元が安芸国吉田よしだ(現広島県高田郡吉田町)の郡山城内に創建臨済宗建仁寺末で、開山嘯岳鼎虎。寺号は元就の法号日頼洞春大禅定門による。のち毛利氏居城の広島移転に伴い、当寺も広瀬ひろせに移り、さらに慶長八年(一六〇三)山口に、同一一年萩城内に移された。

「八江萩名所図画」によれば境内には、徳川家康木像代々将軍位牌を祀った霊牌殿、元就の木像を安置した顕西殿などがあり、大内義弘の木像と位牌も安置されていた。


洞春寺跡
とうしゆんじあと

[現在地名]吉田町吉田

こおり山の西麓、城の搦手にあたる所にある。元亀二年(一五七一)に没した毛利元就の三回忌にあたる天正元年(一五七三)に菩提寺として孫の輝元が創建した臨済宗の寺院で、本尊は十一面観音、脇立の勝軍不動明王・勝敵毘沙門天は元就の護持仏と伝える。元就の葬儀の時の導師であった三原妙法みようほう寺の嘯岳鼎虎を招聘して開山とした。初め山号を竜昌山と称したが、七回忌に正宗山と改め大鐘鋳造。同一五年扶桑十刹に列し、二千三〇〇石余の寺領を与えられる大寺となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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