津和野(町)(読み)つわの

日本大百科全書(ニッポニカ) 「津和野(町)」の意味・わかりやすい解説

津和野(町)
つわの

島根県南西部、鹿足(かのあし)郡の町。山口県に隣接する。1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)畑迫(はたがさこ)、木部(きべ)の2村、小川村の一部と合併。2005年(平成17)日原町(にちはらちょう)を合併。町役場は日原地区に設置されている。JR山口線、国道9号、187号が通じる。中心地区は南部高津川の支流津和野川沿いの盆地にあるが、町域の90%は林野で、植林ワサビ、シイタケ栽培が盛んである。過疎対策として農業生産の基盤整備を進める一方、伝統文化や自然を活用して観光事業に力を入れている。

 津和野川左岸の霊亀(れいき)山(367メートル)にある津和野城跡(国の史跡)は三本松城ともいい、1295年(永仁3)吉見氏が築城し、その後、坂崎氏を経て1617年(元和3)以降亀井氏の居城となった。城下町は津和野川に沿い、堀や士族屋敷の遺構が残り、山陰の小京都として観光客を集める。藩政時代はコウゾを原料とする和紙製造や鞍(くら)製造、青野山斜面の開拓を進めるなど小藩財政強化策をとってきた。笹ヶ谷銅山(ささがたにどうざん)は13世紀末開かれ、江戸時代は幕府直轄領となり銅などを精錬した。大正時代に山口線が敷設されると駅前が市街化した。

 森鴎外(おうがい)旧宅(国史跡)、西周(にしあまね)の旧居(国史跡)、亀井家墓所、坂崎出羽守(でわのかみ)直盛(なおもり)や森鴎外の墓のある永明寺(ようめいじ)、日本五大稲荷(いなり)の一つ太鼓谷稲成(たいこだにいなり)神社、長崎のキリシタン殉教地乙女峠のマリア記念聖堂、旧堀氏庭園(国名勝)などがあり、旧城下町の一部は電柱を除去するなど江戸時代の景観を復原し、堀には数万尾のコイが遊泳する。また日原には、日原天文台や天文資料館がある。弥栄(やさか)神社の鷺(さぎ)舞(国の重要無形民俗文化財)、念仏踊古式を伝える津和野踊(県の無形民俗文化財)、石見神楽(いわみかぐら)に似る柳神楽(県の無形民俗文化財)がある。面積307.03平方キロメートル、人口6875(2020)。

[野本晃史]

『『津和野町史』全4巻(1970~2005・津和野町)』


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