精選版 日本国語大辞典 「流作場」の意味・読み・例文・類語
りゅうさく‐ばリウサク‥【流作場】
- 〘 名詞 〙 =ながれさくば(流作場)
- [初出の実例]「関東筋川々流作場、先達て追々奉伺、被仰付」(出典:刑銭須知検地新田知行割‐寛保二年(1742)二月日)
〈ながれさくば〉ともいう。湖沼や河川の沿岸にあり,水が一面にかかっているような場所。水が多い年には作付け,収穫が難しく,むしろ干ばつの年のほうが収穫量が多いような土地。生産力が不安定なため,新田として年貢をとるためには堤などを築く必要があった。正式の耕地として石高を決め,高入してしまうと,年貢・諸役の負担に耐えられず,耕作人がいなくなってしまうため,検地のさいは厳密な石盛(こくもり)付けは行わずに反別だけを測り,諸役は賦課せず本年貢のみを納めさせた。享保改革末期の1737-45年(元文2-延享2)に幕府勘定奉行神尾春央(かんおはるひで),勘定組頭堀江荒四郎芳極(ただとう)らが関東諸河川で行った流作場の新田開発が知られている。
執筆者:大石 学
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…正式の耕地として石高を決め,高入してしまうと,年貢・諸役の負担に耐えられず,耕作人がいなくなってしまうため,検地のさいは厳密な石盛(こくもり)付けは行わずに反別だけを測り,諸役は賦課せず本年貢のみを納めさせた。享保改革末期の1737‐45年(元文2‐延享2)に幕府勘定奉行神尾春央(かんおはるひで),勘定組頭堀江荒四郎芳極(ただとう)らが関東諸河川で行った流作場の新田開発が知られている。【大石 学】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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