徳勝寺(読み)とくしようじ

日本歴史地名大系 「徳勝寺」の解説

徳勝寺
とくしようじ

[現在地名]寒川町石田東

石田東いしだひがしの西部、地蔵じぞう川の東側にある。醍醐山厭傾院と号する。浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来。「讃岐国名勝図会」によると、長禄二年(一四五八)布勢高祐が布勢ふせ社の神の神託により、当地が往古精舎であったことを知って寺の建立を決意、寛正元年(一四六〇)建造中に弥陀の小像が出土したので、これを安置したという。往古の精舎とは上醍醐かみだいご寺のことといわれ、布勢神社と当寺の間、石田西に醍醐の地名も残るが、寺については不明。同書は村人が上醍醐寺跡を遠見千間とおみせんげん、下醍醐寺跡を内千間うちせんげんとよんでいることを記す。


徳勝寺
とくしようじ

[現在地名]長浜市平方町

興福山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。寺伝によれば、応永年間(一三九四―一四二八)上山田かみやまだ(現滋賀県湖北町)に創立されたといい、初めは医王寺と号した。永正一五年(一五一八)浅井亮政の小谷おだに(現同町)築城に伴い、龍山株源を中興として山麓に移し、浅井氏の菩提寺とした。天正二年(一五七四)織田信長によって浅井氏が滅亡し、羽柴秀吉今浜いまはま(現長浜市)入部。文禄四年(一五九五)当寺を長浜ながはま城内に移し、浅井亮政の諡号徳勝寺殿にちなんで徳勝寺に改号し、井之口いのくち(現滋賀県高月町)内に寺領三〇石を与えた。慶長一一年(一六〇六)内藤信成が長浜に封ぜられた際、長浜城下の町に方二町を与えて移した。


徳勝寺
とくしようじ

[現在地名]大垣市青柳町

集落の北西に位置し、真宗大谷派に属する。青柳山と号し、本尊は阿弥陀如来。初め天台宗の寺院として創建されたが、応永三二年(一四二五)青柳勝円が中興開山となって真宗に転じたという。寺宝の弘安祈願梵鐘は国指定重要文化財で、総高一二三・六センチ、口径七一・八センチ、厚さ六・三センチ、撞座一三センチ。弘安三年(一二八〇)一〇月日の梵鐘陰刻銘に「美濃一宮法体宮御鐘」とみえ、文永の役の後、異国降伏の祈願のために寺家・社家が勧進となって鋳造された美濃一宮南宮なんぐう神社(現不破郡垂井町)の梵鐘であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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