浪江(読み)なみえ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浪江」の意味・わかりやすい解説

浪江(町)
なみえ

福島県浜通り中央、双葉郡(ふたばぐん)の町。東は太平洋に臨み、西は阿武隈(あぶくま)高地高瀬川、室原(むろはら)川が渓谷をなして東流し、河口付近で請戸川(うけとがわ)(泉田川)となって太平洋に注ぐ。1900年(明治33)町制施行。1953年(昭和28)請戸、幾世橋(きよはし)の2村、1956年大堀、苅野(かりの)、津島の3村と合併。JR常磐(じょうばん)線、国道6号が南北に走り、東西に国道114号が通じる。また、北西部には国道399号、459号が走る。江戸時代は相馬(そうま)中村藩領で、中心地区の浪江は浜街道の宿駅として栄えた。米作を中心とする農業が営まれ、ナシの栽培も盛んで、請戸漁港での漁業、請戸川でのサケ漁、大堀相馬焼(国指定伝統的工芸品)も知られる。電子、製薬、化学などの工場も進出した。高瀬川渓谷は阿武隈高原中部県立自然公園域。面積223.14平方キロメートル、人口1923(2020)。

原田 榮]

〔東日本大震災〕2011年(平成23)の東日本大震災では死者584人・行方不明31人、住家全壊772棟・半壊2384棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。あわせて東京電力福島第一原子力発電所の原発事故による放射能汚染によって避難指示区域(のちに避難指示解除準備区域居住制限区域帰還困難区域再編)となった。2017年3月末に北東部の避難指示解除準備区域と居住制限区域の指定は解除されたが、町域の大半は帰還困難区域に指定されたままである。解除翌日から町内本庁舎での業務も再開され、仙台方面から浪江駅まで常磐線運行を再開した。しかし、2019年(令和1)6月30日時点で、避難生活を送っている町民は2万0382人(うち県外6198人)にのぼり(浪江町「避難状況」)、二本松市に役場事務所、福島市、いわき市、南相馬市に出張所を設けて業務に対処している。

[編集部 2019年10月18日]

『浪江町史編纂委員会編『浪江町史』1巻・別巻2(1974~2008・浪江町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「浪江」の意味・わかりやすい解説

浪江[町] (なみえ)

福島県東部,双葉郡の町。人口2万0905(2010)。浜通り地方中北部にあって,東は太平洋に面し,西は阿武隈高地の稜線まで町域が広がる。町域の約半分を山林が占め,耕地は東流する請戸(うけど)川の支流,室原川と高瀬川の下流部に広がる。中心集落の権現堂には,江戸時代,浜街道の宿駅の浪江駅があり,相馬藩の陣屋がおかれていた幾世橋(きよはし)には藩主の隠居屋敷があった。稲作,養蚕を中心とするが,トマト,キュウリなどの施設園芸も伸びている。水産等ではサケの栽培漁業が増加している。請戸港はかつては千石船が寄港,物資の移出入港として栄えたが,現在は沿岸漁業の基地となっている。請戸川のサケ漁である10~11月の最盛期には1日に数千人の観光客でにぎわい,1993年にはプラネタリウム,宿泊施設,テニスコートなどを備えた多目的レジャー施設〈マリンパークなみえ〉が開設された。相馬藩の保護窯として発達した大堀の相馬焼は,藩主の家紋にちなんだ奔馬の絵を付けた焼物で〈相馬駒焼〉ともいわれる。JR常磐線,国道6号,114号線が通じる。2011年3月の福島原発事故に際し,町役場機能を福島県二本松市に移転した。
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百科事典マイペディア 「浪江」の意味・わかりやすい解説

浪江[町]【なみえ】

福島県東部,浜通り中北部の双葉(ふたば)郡の町。中心の権現堂(ごんげんどう)は室原川と高瀬川の合流点付近にあり,陸前浜街道の旧宿駅で常磐線に沿う。製薬・自動車部品などの工場があり,大堀の相馬焼を特産。河口にある請戸(うけと)は漁村。常磐自動車道,国道6号も通じる。東日本大震災で,町内において被害が発生。223.14km2。2万905人(2010)。

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