福島県浜通り中央にある双葉郡の町。太平洋に面する。1951年(昭和26)新山(しんざん)町と長塚村が合併して標葉(しねは)町となり、1956年双葉町と改称。JR常磐(じょうばん)線、国道6号、288号が通じる。『和名抄(わみょうしょう)』の標葉郷の地。稲作中心の農業を主とするが、南東部の大熊町(おおくままち)にまたがり東京電力福島第一原子力発電所が設置された。前田川右岸の清戸迫横穴(きよとさくおうけつ)(国指定史跡)は朱彩壁画で知られる。面積51.42平方キロメートル(2020)。
[原田 榮]
〔東日本大震災〕2011年(平成23)の東日本大震災では死者169人・行方不明4人、住家全壊103棟・半壊14棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。あわせて東京電力福島第一原子力発電所の原発事故による放射能汚染によって避難指示区域(のちに避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域に再編)となった。2019年(令和1)6月30日時点で、避難指示解除準備区域に指定される北東部のごく一部の地域を除き、町域は帰還困難区域に指定されている。そのため、全町民6879人(うち県外避難者は2804人)が避難生活を強いられている(双葉町「避難状況」)。町役場もいわき市に事務所を置き、郡山(こおりやま)市と埼玉県加須(かぞ)市に支所、南相馬市、茨城県つくば市に連絡所を設けて業務にあたっている。
[編集部 2019年10月18日]
『『双葉町史』全5巻(1984~2002・双葉町)』
山梨県中部、北巨摩郡(きたこまぐん)にあった旧町名(双葉町(ちょう))。現在は甲斐(かい)市の西部を占める一地区。1955年(昭和30)登美(とみ)、塩崎の2村が合併して町制改称、2004年(平成16)竜王(りゅうおう)町、敷島(しきしま)町と合併、市制施行して甲斐市となる。旧双葉町域は、甲府(こうふ)市の西方茅ヶ岳(かやがたけ)南麓(ろく)の登美台地と釜無(かまなし)川氾濫原(はんらんげん)に広がる。JR中央本線、国道20号が通じ、中央自動車道双葉ジャンクションがあり中部横断自動車道と分岐する。登美台地上での養蚕、釜無川流域での米作が主であったが、近年は台地上でのブドウ栽培をはじめとする果樹栽培へと転換。甲府市に近く交通の便もよいので、1965年(昭和40)以降住宅が増加し、甲府市の近郊的色彩を帯びてきている。台地上の高所には大規模なブドウ園(サントリー登美の丘ワイナリー)があり、醸造までの一貫操業が行われている。光照寺薬師堂(こうしょうやくしどう)は国の重要文化財。
[横田忠夫]
『『双葉町誌』(1977・双葉町)』
福島県東部,双葉郡の町。1951年に県下町村合体モデル第1号として新山(しんざん)町と長塚村が合体して標葉(しねは)町が誕生し,56年現名に改称。人口6932(2010)。浜通り地方の中央に位置し,東は太平洋に臨む。中心部をJR常磐線,国道6号線が縦貫し,国道288号線が郡山市と結ぶ。新山は浜街道の宿駅として発達。その北方には標葉氏の居城があったが,1492年(明応1)相馬盛胤に攻略され,以後相馬氏の城代がこの地を治めた。産業は米作,畜産,養鶏が中心で,なかでも鶏卵が多い。南の大熊町との間にまたがる地に建設された東京電力福島第1原子力発電所(最大出力470万kW)が1971年から運転を開始したのを機に工業地化がはかられた。新山地区にある清戸迫(きよとさく)古墳群には人物や騎馬像,動物などが描かれた壁画をもつ清戸迫横穴がある。2011年3月の福島原発事故に際し,町役場機能を埼玉県さいたま市中央区を経て加須(かぞ)市へ移転。さらに13年6月に福島県いわき市に移転した。
執筆者:佐藤 裕治
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