コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

淡路焼 あわじやき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

淡路焼
あわじやき

淡路国 (淡路島) 三原郡稲田村で,文政年間 (1818~30) に大地主の賀集 珉平 (かしゅうみんぺい) が始めた陶磁器珉平焼とも呼ばれる。 珉平は天保5 (34) 年に京都から陶工尾形周平を招いて陶芸を学び,茶褐釉や黄釉,青釉などをはじめ,絵高麗,艶黒釉などを発明した。同 13年,徳島藩主蜂須賀氏の官窯が同所に築かれ,珉平はその経営にあたった。この官窯と 珉平の個人窯であった本窯で品格のある陶磁器が焼かれ,海外にも輸出されて名声を得た。 1883年欅田善次郎が本窯を買収して淡陶会社を設立した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

大辞林 第三版の解説

あわじやき【淡路焼】

淡路島の南淡町(現南あわじ市)付近で産する陶器。賀集珉平かしゆうみんぺいが文政年間(1818~1830)に創始。黄釉陶おうゆうとうが多い。珉平焼。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

淡路焼
あわじやき

淡路島で焼かれた焼物で、(みんぺい)焼ともいう。文政(ぶんせい)年間(1818~1830)淡路国稲田村(兵庫県南あわじ市)のしょうゆ醸造家賀集(かしゅう)平により、淡路島の伊賀野村(現、南あわじ市北阿万伊賀野)に開窯された。平は初め楽焼を試み、黄釉(こうゆう)、青釉を開発したが、1834年(天保5)には京都から陶工尾形周平を招き、1838年には茶褐釉、鬱(うつ)白陶を創製した。1842年、藩主蜂須賀(はちすか)侯は官窯を築き、平にこれを任せた。一般に京焼風のものが多いが、青磁、白磁、染付、色絵、安南写し、絵高麗(こうらい)写し、交趾(こうち)写しなども焼かれた。[矢部良明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

淡路焼の関連キーワード尾形周平(初代)南あわじ(市)賀集恒左衛門尾形吉三郎南淡[町]賀集珉平加集珉平ダントー

今日のキーワード

隗より始めよ

《中国の戦国時代、郭隗(かくかい)が燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android