デジタル大辞泉 「累」の意味・読み・例文・類語
るい【累】
[類語]巻き添え・とばっちり・そばづえ・後腐れ・影響・刺激・煽り・作用・響く・差し響く・跳ね返る・祟る・災いする・反響・反映・反応・反動・反作用・波紋・余波・皺寄せ・弾みを食う・煽りを食う・側杖を食う・手応え・歯応え・物議を醸す・インパクト・リアクション・レスポンス・フィードバック
かさね【累】
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
伝説上の女性、およびこれを脚色した戯曲の通称。伝説は下総(しもうさ)国羽生(はにゅう)村(茨城県常総(じょうそう)市)法蔵寺に伝わる因縁話で、承応(じょうおう)~寛文(かんぶん)(1652~73)ごろ、醜婦の累が嫉妬(しっと)深さのため夫与右衛門(よえもん)に殺され、その怨念(おんねん)が一族にたたったが、祐天上人(ゆうてんしょうにん)の祈りで解脱(げだつ)したというもの。これを素材に多くの歌舞伎(かぶき)脚本、浄瑠璃(じょうるり)がつくられ、「累物(かさねもの)」とよばれる一系統になった。最初の作といわれるのは津打治兵衛(つうちじへえ)の『大角力藤戸源氏(おおずもうふじとげんじ)』(1731)。その後、「身売りの累」とよばれる『伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)』(1778・初世桜田治助(じすけ)作)をはじめ多くは伊達騒動に織り込まれて脚色、江戸後期には怪談劇の要素も強くなった。その代表作は4世鶴屋南北(なんぼく)の『阿国御前化粧鏡(おくにごぜんけしょうのすがたみ)』(1813。通称「湯上りの累」)および『法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)』(1823)などで、後者の序幕道行(みちゆき)『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』は清元の舞踊「かさね」として大いに流行している。
[松井俊諭]
歌舞伎舞踊。清元。本名題《色彩間苅豆(いろもようちよつとかりまめ)》。1823年(文政6)6月江戸森田座で,4世鶴屋南北作の《法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)》の二番目序幕として初演。作詞松井幸三,作曲初世清元斎兵衛。配役は与右衛門を7世市川団十郎,累を3世尾上菊五郎。絹川与右衛門は腰元の累と結ばれたが,出世のために女を捨て出奔。木下(きね)川堤で累に追いつかれいったんは心を和ませるが,そのとき川辺にどくろが流れ寄る。12年以前与右衛門は,累の母菊と密通し,夫の助を殺したが,このどくろこそ助のものであった。因果によって累は醜女に変貌し積年の恨みを述べるので,与右衛門は鎌で惨殺してしまう。
→累物
執筆者:富田 鉄之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(小松和彦)
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…7幕14場。通称《お国御前》《湯上りの累(かさね)》。別名題《かさね菊絹川染》《音菊家怪談(かねてきくおいえのばけもの)》《室町殿所好(このみの)番組》《累扇月姿鏡(かさねおうぎつきのすがたみ)》《菊累音家鏡(きくがさねゆずりのすがたみ)》。…
…生来の美音家であるのに加えて時代の好みに乗り,庶民に歓迎された。初演した語り物に《保名(やすな)》《累(かさね)》《山姥(やまんば)》など。(2)2世(1802‐55∥享和2‐安政2) 初世の子の岡村藤兵衛。…
※「累」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」