明治・大正期の動物学者 東京帝国大学理学部教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
動物学者。江戸に生まれ、東京英語学校、東京大学予備門を経て1880年(明治13)札幌農学校入学、1884年の卒業後は東京大学動物学科撰科(せんか)生となる。1886年、ジョンズ・ホプキンズ大学に留学し、1890年に博士号を取得。以後クラーク大学講師、シカゴ大学教授として細胞学、比較組織学を研究した。1899年帰国して東京帝国大学動物学科講師、1901年同教授となって1924年(大正13)まで務め、発光動物(ホタル、ホタルイカ)を研究するとともに、生態学、動物地理学にも関心を示し、渡瀬線(屋久島(やくしま)・種子島(たねがしま)と奄美(あまみ)大島間の生物分布境界線)を発見した。また、史跡名勝天然記念物調査会委員として固有動物の保護に努める一方、ハブ除去のためのマングース移入(1910)、食用ガエルの移植(1918)、キツネ養殖の指導、捕鯨法の歴史学的研究など、応用動物学方面でも活躍した。
[磯野直秀]
動物学者。江戸の生れ。東京英語学校卒業後,1880年札幌農学校に入学,84年卒業とともに東京大学動物学科選科に入学,86年7月修了。その年アメリカに渡り,ジョンズ・ホプキンズ大学へ留学,学位を取得。その後クラーク大学講師,シカゴ大学客員教授を歴任。98年帰国とともに東京大学動物学科の講師に迎えられ,翌年教授となる。研究分野は,ドイツ,キール大学留学中にW.フレミングから指導を受けた細胞学,屋久島,種子島と奄美大島間の動物分布の違いを発見(渡瀬線とよばれる)した動物地理学など多方面にわたっている。また,植物学者三好学の〈天然記念物〉の考えに賛同し,日本の動物保護指定事業に協力(山口県向島のタヌキなど)。さらにハブ退治のためインドからマングースを沖縄へ移植するなど応用動物学の分野でも貢献した。
執筆者:鈴木 善次
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