渡辺 順三
ワタナベ ジュンゾウ
大正・昭和期の歌人,社会運動家
- 生年
- 明治27(1894)年9月10日
- 没年
- 昭和47(1972)年2月26日
- 出生地
- 富山県富山市千石町
- 学歴〔年〕
- 富山中〔明治40年〕中退
- 経歴
- 13歳の時上京、神田の家具商の小僧となる。大正3年空穂の「国民文学」創刊に参加。のち口語歌運動に専念し、14年に「芸術と自由」を創刊したのをはじめさまざまなプロレタリア短歌運動を展開した。昭和16年検挙される。戦後は新日本歌人協会創立のメンバーとなり、21年機関紙「人民短歌」を創刊。24年「新日本歌人」に改題後も一貫して民衆短歌の道を歩いた。著書は、歌集「貧乏の歌」「生活を歌ふ」「烈風の街」「日本の地図」「波動」、評論・研究書「定本・近代短歌史」「石川啄木・その生活と芸術」「秘録・大逆事件」など多数。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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渡辺順三 (わたなべじゅんぞう)
生没年:1894-1972(明治27-昭和47)
歌人。富山市生れ。父の死により1907年富山中学を中退して上京,家具屋の小僧となり,かたわら作歌を始め,14年窪田空穂の《国民文学》同人となる。一方,石川啄木,大杉栄,幸徳秋水などを読み,《種蒔く人》に接近し,しだいに左傾する。肺患をおし,印刷屋,古本屋などで生計をたてながら,22年社会主義文芸誌《シムーン》,25年口語歌誌《芸術と自由》,28年新興歌人連盟,29年プロレタリア歌人同盟にそれぞれ参加,その中心となる。戦後は新日本歌人協会を推進した。24年大喀血のあとの歌〈ひび入れる瀬戸のうつわのはかなさを心に持ちて堪うべくもあらず〉を含む処女歌集《貧乏の歌》(1924),自伝《烈風の中を》(1971)などがある。
執筆者:満田 郁夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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渡辺順三
わたなべじゅんぞう
(1894―1972)
歌人。富山県生まれ。富山中学中退後上京、家具屋の小僧となる。『国民文学』『芸術と自由』を経て、新興歌人連盟に参加。プロレタリア短歌運動の推進者として活躍。1941年(昭和16)治安維持法違反の容疑で検挙される。第二次世界大戦後は新日本歌人協会の中心的存在となり、石川啄木(たくぼく)の伝統を受け継ぐ民主的短歌運動に努力。作風は現実を平明にとらえ、順直に庶民的実感を歌う。歌集『貧乏の歌』(1924)、『烈風の街』(1939)などのほか『定本近代短歌史』など評論も多い。
[水野昌雄]
手のひらに堅きタコありあはれわが十六年の錐(きり)もむ仕事
『『定本近代短歌史』上下(1963、64・春秋社)』▽『渡辺順三自伝『烈風の中を』(1971・東邦出版社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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渡辺順三 わたなべ-じゅんぞう
1894-1972 大正-昭和時代の歌人。
明治27年9月10日生まれ。富山中学を中退して上京し,家具屋の徒弟となる。窪田空穂(くぼた-うつぼ)に師事し,「国民文学」「芸術と自由」の同人。昭和3年新興歌人連盟の結成にくわわる。プロレタリア短歌運動を推進し,戦後は新日本歌人協会を指導した。昭和47年2月26日死去。77歳。富山県出身。著作に「貧乏の歌」「定本近代短歌史」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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渡辺 順三 (わたなべ じゅんぞう)
生年月日:1894年9月10日
大正時代;昭和時代の歌人。新日本歌人協会会員
1972年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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