火野葦平の長編小説。1938年(昭和13)8月,《改造》に発表。日中戦争に出征中,《糞尿譚》で芥川賞を受賞し,報道部員として徐州作戦に参戦した従軍記。形式は徐州へ向けて上海を出発した38年5月4日から,徐州占領を果たし上海へ帰ることになった5月22日までの日記。従軍記とはいえ,激しい戦闘描写や戦場の武勇伝はほとんどなく,兵隊の日常生活,どこまでも続く麦畑のなかを進軍する兵士の姿や周囲の風景などが淡々とした筆致で描かれているのが特徴である。現実に戦っている兵隊が戦地から書き送ったところに話題性と迫真性があり,銃後の国民に大きな感銘を与え,この成功が多くの〈兵隊作家〉を誕生させた。なお,つづけて書かれた《土と兵隊》《花と兵隊》とあわせ〈兵隊三部作〉と呼ばれる。
執筆者:都築 久義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
火野葦平(あしへい)の中編小説。1938年(昭和13)8月『改造』に発表。同年9月改造社刊。歩兵伍長(ごちょう)の身分で報道部員として、日中戦争の徐州(じょしゅう)作戦に参戦した従軍日記で、徐州へ向けて上海(シャンハイ)を出発した5月4日から、任務を終えて上海に帰ることの決まった22日までの従軍の模様が記されている。戦記とはいえ、激しい戦闘描写はほとんどなく、兵隊の日常生活や広漠と続く麦畑の中を行軍する部隊のようすや中国民衆の姿や村の風景が、淡々とした筆致で描かれているだけであるが、素朴な表現と誠実な作者の人柄が読者の胸を打つ。兵士が戦場から送ったという臨場感と生々しさが反響をよんで、単行本は空前のベストセラーとなった。続く『土と兵隊』(1938)、『花と兵隊』(1938~39)とともに作者のいわゆる「兵隊三部作」をなす。
[都築久義]
『『土と兵隊・麦と兵隊』(新潮文庫)』
火野葦平(あしへい)の中編小説。1938年(昭和13)「改造」8月号に発表。同年9月改造社より刊行。「徐州会戦従軍記」と副題にもあるとおり,日中戦争で苦戦した徐州作戦に軍の報道班員として従軍した筆者が,その見聞を実感をこめて描いたもので,華々しい世評をうけ,発行部数も120万部に達した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…1938年,前年の華北・華中進攻につづいて,両戦線を結合しようとした日本軍は,両方面より徐州に向けて進軍し,国民党軍と戦った(徐州作戦)。この戦役は従軍した火野葦平の《麦と兵隊》によってもよく知られている。また1948‐49年には北西方から進攻した共産軍が,徐州の国民党軍を攻撃して破り,長江以北の解放をなしとげた(淮海戦役)。…
…やがて日中全面戦争が勃発し,石川達三の《生きてゐる兵隊》(1938)が発禁となって,以後,中国大陸に派遣された〈ペン部隊〉とよばれる従軍作家たちは,戦争を全肯定する立場でしか作品を書けなくなった。わずかに,兵士としての火野葦平の《麦と兵隊》《土と兵隊》(ともに1938)や,上田広の《黄塵》(1938)などが戦場の一面を伝えたにとどまった。さらに太平洋戦争期に入ると,文学者の多くが南方戦場に報道班員として徴用されて,戦争文学は空前の大流行となったが,無名の人たちの詩歌以外にみるべきものはなく,戦後,梅崎春生の《桜島》(1946)や,野間宏の《真空地帯》(1952),大岡昇平の《俘虜記》(1952)などによって,ようやく本格的な戦争文学が誕生した。…
※「麦と兵隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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