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片倉兼太郎 カタクラカネタロウ

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デジタル大辞泉の解説

かたくら‐かねたろう〔‐かねタラウ〕【片倉兼太郎】

[1849~1917]事業家。長野の生まれ。製糸業を始め、明治28年(1895)片倉組を設立し、片倉財閥の基礎を築いた。

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朝日日本歴史人物事典の解説

片倉兼太郎

没年:大正6.2.13(1917)
生年:嘉永2.11.29(1850.1.12)
明治大正期のわが国の代表的な製糸資本家。信濃国諏訪郡三沢村(長野県岡谷市)の豪農の家に生まれる。明治6(1873)年に実弟光治と共に10人取りの座繰製糸を始め,さらに11年には32釜の器械製糸場を自村の天竜川河畔に設置する。のち光治のほかの弟や従弟らも経営に参加し,得られた利益を共有資産として,一族一致団結して器械製糸経営を拡大させていった。28年には片倉組を結成して兼太郎自ら組長となり,一族の経営を統率した。明治後期以降,県外にも多くの製糸工場を設置していき,没後の大正9(1920)年に片倉組の製糸経営を継承して設立された片倉製糸紡績株式会社は世界最大の製糸会社といわれた。また明治36年以降,一族は北海道,朝鮮などで農場・山林経営に乗り出すとともに,両大戦間期には保険業,化繊工業などへの経営多角化を進めて地方財閥のひとつに数えられるに至った。60歳を超えても「まだ尋常小学校を卒えたくらいにしか思っていない」と語ったというほど,常に若々しく精力的な活動を続けた。 末弟佐一が養嗣子となり,初代没後,襲名して2代兼太郎となる。昭和9(1934)年,2代兼太郎没により,嗣子脩一が襲名し3代兼太郎となる。いかにも豪農の家と思わせる茅葺屋根の生家は現存。<参考文献>足立栗園『初代片倉兼太郎君事歴』,『片倉製糸紡績株式会社20年誌』

(松村敏)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

かたくらかねたろう【片倉兼太郎】

1849‐1917(嘉永2‐大正6)
片倉組の創始者。信濃国諏訪郡川岸村の豪農片倉市助の長男に生まれ,1876年家督を継いだ。73年に10人繰りの座繰製糸を始め,78年には32人繰り器械製糸所を設立した。翌79年に製糸結社開明社を平野村の尾沢金左衛門,林倉太郎らと作り,横浜と直接取引をしつつ経営を拡大した。95年には一族で匿名組合片倉組を作り兼太郎が組長となるが,同組は1900年代中葉には日本最大規模の製糸業者となった。 なお,2代目の兼太郎(1862‐1934)は片倉製糸紡績の創設者。

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大辞林 第三版の解説

かたくらかねたろう【片倉兼太郎】

1849~1917) 実業家。長野県生まれ。洋式の製糸工業を興し、片倉財閥の基礎を築いた。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

片倉兼太郎
かたくらかねたろう
(1849―1917)

明治・大正期の製糸事業家。信濃(しなの)国(長野県)諏訪(すわ)郡の豪農の家の長男に生まれる。1873年(明治6)自宅の庭で坐繰(ざぐり)10人取りを始め、78年には32人繰の垣外(かいと)製糸場を開業。粗製濫造による信州生糸の価値低下を防ぐため、同業者とともに開明社を組織し、輸出生糸の品質統一のため共同揚返(あげかえし)場を設置。以後一族の協力により急速に経営を拡大し、95年片倉一族の製糸経営を統轄するために片倉組を組織、業界第1位の製糸家となる。96年から農林事業に乗り出し、北海道、台湾、朝鮮にも進出。1916年(大正5)引退、翌年没する。末弟佐一が2代目を襲名。片倉組は、20年片倉製糸紡績会社に改組され、郡是(ぐんぜ)(現グンゼ)とともに日本の代表的製糸会社となった。43年(昭和18)片倉工業と改称。[千本暁子]

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