デジタル大辞泉
「片山国嘉」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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片山 国嘉
カタヤマ クニカ
明治・大正期の医学者 東京帝国大学名誉教授。
- 生年
- 安政2年7月7日(1855年)
- 没年
- 昭和6(1931)年11月3日
- 出生地
- 遠江国周智郡犬居村(静岡県)
- 学歴〔年〕
- 東京大学医学部〔明治12年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士
- 主な受賞名〔年〕
- 勲一等瑞宝章〔大正9年〕
- 経歴
- 明治4年大学東校に入り医学を修め、のち東京大学医学部に進む。14年東大助教授となり、17年ベルリン大学、ウィーン大学に留学し、裁判医学を研究。21年帰国し東大教授に就任。22年日本初の法医学講座を担当した。30年精神病理学講座を兼担。34年清韓両国との医学交流のため、同仁会を設立。大正10年退官し、名誉教授となる。11年から禁酒運動に尽力した。共著に「最新法医学講義」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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片山国嘉 (かたやまくによし)
生没年:1855-1931(安政2-昭和6)
日本法医学の開祖,〈法医学〉の語をつくる。静岡県出身。1879年(明治12)東大卒。生理学教室に入ったが,その師ティーゲルErnst Tiegelの助手として裁判医学の講義・通訳をしたのが法医学に関与したはじまりで,81年助教授,84年ドイツなどに留学,88年帰国,教授となり裁判医学を担当。法医学と改称し,93年の講座制発足に際し法医学講座の初代教授として,日本における近代的法医学を樹立し,科学の力によって法の公正を保つようにした。優れた弟子を育てる一方,犯罪で酒がもととなっていることの少なくないことから,禁酒運動に力を入れ,さらに同仁会副会長,静岡県医学会名誉会員になるなど,社会的な面でも活躍した。著書に《裁判医学提要》《法医学提要》《酒害の真相》などがある。
執筆者:長門谷 洋治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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片山国嘉 かたやま-くにか
1855-1931 明治-昭和時代前期の法医学者。
安政2年7月7日生まれ。母校東京大学の助教授となり,裁判医学と衛生学を担当。明治21年教授に就任,翌年わが国最初の法医学講座を開講した。35年清(しん)(中国)韓両国との医学交流のため同仁会を設立。晩年は禁酒運動につくした。昭和6年11月3日死去。77歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。著作に「最新法医学講義」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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片山 国嘉 (かたやま くにか)
生年月日:1855年7月7日
明治時代;大正時代の医学者。医学博士;東京帝国大学助教授
1931年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の片山国嘉の言及
【法医学】より
… 日本における近代法医学は,1875年解剖学教師デーニツWilhelm Doenitz(1838‐1912)が警視庁裁判医学校において公法医学あるいは裁判医学として講義したのが始まりである。82年には,日本人による最初の法医学書が《裁判医学提綱前編》として,片山国嘉らによって刊行された。片山は,日本の法医学の始祖とされ,81年に東京大学において,日本人として初めて法医学を講義した。…
※「片山国嘉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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