ドイツの作家E.T.A.ホフマンの長編小説。第1巻1820年,第2巻1822年刊。正式の題名は〈ならびに偶然まじり込んだ楽長ヨハネス・クライスラーの伝記断片〉という添書きをともなう。学をつんだ牡猫ムルは若い世代のために自分の生涯の回想録を書くが,その際,《楽長クライスラー伝》なる書物のページをやぶいて吸取紙もしくは下敷きとして使い,それがそのまま原稿にまじって印刷されたために,ムルの回想はしばしばクライスラー伝の断片によって中断される。そこから,気どった通俗的文体のムル自伝とパロディ的に屈折するクライスラー伝の文体,ひいては楽々と生きるムルと心引き裂かれたクライスラーとの対比,また,ムルに投影された俗物的市民社会および芸術家クライスラーを疎外する王侯社会への風刺が生まれている。なお〈クライスラー〉は,元来ホフマンの音楽論に登場する架空の筆者名であり,小品集《クライスレリアーナ》の名もそれに由来する。
執筆者:渡辺 健
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツ・ロマン派の作家ホフマンの長編小説。2巻(1820~22)。自ら名声を誇る牡猫ムルが半生記を綴(つづ)り、かたわら人間の日常性を批評するという趣向の手記で、書くにあたって飼い主の宮廷楽長クライスラーが書きかけていた伝記の下書きの紙を利用したため、クライスラーの手記も混じったまま印刷されてしまったという構成になっている。芸術家なる存在様式や芸術観にも触れており、いわゆるロマン的アイロニーに満ち、日常性に埋没した現実主義への批判が、思想上でも手法上でも表現されている。自伝的要素の濃い作品。
[深田 甫]
『深田甫訳『ホフマン全集7 牡猫ムルの人生観』(1973・創土社)』
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