王寺(読み)ぎおうじ

日本歴史地名大系 「王寺」の解説

王寺
ぎおうじ

[現在地名]右京区嵯峨鳥居本小坂町

小倉おぐら山の東麓にあり、往生おうじよう院跡にあたる。往生院は法然の弟子念仏房良鎮の創立と伝えるが、中世以降荒廃していたのを「平家物語」「源平盛衰記」の遺跡として明治に復興し、往生院祇王寺と名付けた。真言宗大覚寺派の尼寺で、本尊大日如来。「平家物語」巻一によると、白拍子祇王は平清盛寵愛をうけたが、加賀の白拍子仏御前に寵を奪われた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「王寺」の意味・わかりやすい解説

王寺(町)
おうじ

奈良県北西部、北葛城(かつらぎ)郡にある町。1926年(大正15)町制施行。古代には葛下(かつげ)川流域一帯は片岡と総称され、本町域は片岡谷、片岡荘とよばれて王寺地区がその中心集落であった。奈良盆地の諸川を集めて大阪府に流出する大和(やまと)川渓口部の左岸に位置し、古くから大阪、奈良を結ぶ交通の要所、商業取引の中心地として栄えてきた。JR関西本線(大和路線)が通じて和歌山線を分岐し、近畿日本鉄道生駒(いこま)線および田原本(たわらもと)線の始発駅があり、国道25号、168号が走る。1890年(明治23)に鉄道が敷設されてから「交通のまち」として知られ、近年は大阪のベッドタウンとして住宅団地の建設が盛んである。特産品に砥石(といし)がある。臨済宗達磨寺(だるまじ)は聖徳太子ゆかりの古寺で、木造達磨坐像(ざぞう)、木造聖徳太子坐像は国の重要文化財。面積7.01平方キロメートル、人口2万4043(2020)。

[菊地一郎]

『『王寺町史』(1969・王寺町)』『新訂『王寺町史』全2巻(2000・王寺町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「王寺」の意味・わかりやすい解説

王寺[町] (おうじ)

奈良県北西部,北葛城郡の町。人口2万2182(2010)。奈良盆地の中西部にあたり,北側を大和川が流れ,西は大阪府と接する。大和川が大阪平野へ流れ出る出口に位置し,古くからの交通の要所であった。明治後期から大正にかけて鉄道が開通し,交通の町としてさらに発展した。中心市街地は町の北端にある王寺駅北側に展開するが,王寺駅はJR和歌山線,関西本線,近鉄生駒線,田原本(たわらもと)線の分岐点であり,商店街は近隣町村を含めた商圏の中心となっている。大阪に近いことから住宅地化が進み,ことに南部の丘陵地では大規模な住宅地開発が進められている。聖徳太子ゆかりの達磨寺,古くは片岡王寺,片岡僧寺と呼ばれた放光寺,大宮と呼ばれる片岡神社などがある。
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百科事典マイペディア 「王寺」の意味・わかりやすい解説

王寺[町]【おうじ】

奈良県北西部,生駒(いこま)山地南東麓にある北葛城(きたかつらぎ)郡の町。大和川大阪平野へ流出する出口に当たる古くからの交通要地で,関西本線が通じ,和歌山線,近鉄生駒線・田原本(たわらもと)線の分岐点。近年宅地化も進んでいる。聖徳太子ゆかりの達磨(だるま)寺がある。7.01km2。2万2182人(2010)。

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