出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
中国、魏(ぎ)の文人。字(あざな)は仲宣(ちゅうせん)。山陽高平(山東省鄒(すう)県)の人。名家の出身であるが、幼少年期に後漢末の動乱に巻き込まれ、南方の荊州(けいしゅう)(湖北省)に逃れて、16年間その地で不遇のまま過ごした。208年、曹操(そうそう)のもとに身を寄せたあと、軍謀祭酒などを経て、魏の建国後は侍中(じちゅう)に昇り、法令制度の整備に尽力、最後は曹操に従って呉(ご)との戦いに行く途中、病没した。幼いときから異才を称されていたが、荊州の地でつくられた詩文は悲哀に満ちた美しい作品が多く、とくに『文選(もんぜん)』に収める「登楼(とうろう)の賦(ふ)」「七哀詩(しちあいし)」は、当時の社会情況をも反映する彼の代表作である。曹操の配下に入ってからはその詩文の才能を高く評価され、人々の尊敬を受けた。「建安七子(けんあんしちし)」の筆頭に数えられる。
[佐藤 保]
…後漢の班固の《詠史詩》はその最も古いもので,前漢文帝の時代の孝女緹縈(ていえい)の物語を主題として感慨をうたう。6世紀初に編まれた《文選(もんぜん)》では,詩の一体として〈詠史〉の部を設け,王粲(おうさん)〈詠史詩〉,曹植(そうしよく)〈三良詩〉以下,21首の作品を収める。王粲,曹植の詩は,ともに春秋秦の穆公(ぼくこう)に殉死した3人の忠臣の話をうたっている。…
… 六朝時代の初期になると,それまでの叙事をこととする雄大な長編のほかに,抒情的な短編の賦が現れて,新しい境地を開拓した。王粲(おうさん)の〈登楼の賦〉や曹植の〈洛神(らくしん)の賦〉などは,抒情小賦の代表的な成果である。さらに六朝後期には,駢文(べんぶん)の発展と呼応して,対偶表現は一段と徹底し,ほとんど全編が対句から構成されるまでになったほか,平仄(ひようそく)を整えて音声上の効果をよくするくふうも導入された。…
※「王粲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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