中国、清(しん)代、乾隆(けんりゅう)の盛期の学者。趙翼(ちょうよく)、妹婿の銭大昕(せんたいきん)と並んで当時の代表的な歴史家。江蘇(こうそ)省嘉定県の人で、字(あざな)は鳳階(ほうかい)、号は西沚(せいし)、西荘(せいそう)先生とよばれた。沈徳潜(しんとくせん)について学び、35歳で進士及第、翰林院(かんりんいん)に入り、昇進して内閣学士兼礼部侍郎に至った。だが、功を焦る風が災いしてか、駅馬を乱用したとして左遷され、ついで退官し、ふたたび官途につかず、蘇州に住んで30年、読書と著述に専念、声望は高かったが倹素で「寒士の如(ごと)し」といわれた。その学は経史子集にわたり、歴代正史を評論した『十七史商榷(しょうかく)』、解説評論集『蛾術篇(ぎじゅつへん)』は名著の誉れが高い。
[増井経夫 2016年3月18日]
中国,清中期の考証学者。嘉定(江蘇省)の人。字は鳳喈。乾隆19年(1754)の進士。累進して内閣学士兼礼部侍郎となったが,のち,光禄寺卿に左遷されて官をやめ,蘇州で読書の生活を送ること30年,その学は経史子集の各分野にわたる。経学は閻若璩(えんじやくきよ)・恵棟の影響をうけ,鄭玄(じようげん)の説を主とした漢学派であるが,彼はほぼ同時代の趙翼・銭大昕(せんたいきん)とならぶ歴史学者としてとくに著名である。その学風は乾隆中期以後,経学に刺激され経学の方法を応用して起こった考証史学と呼ばれるもので,まず歴代の正史を精究して記事の異同をきわめ,さらに雑史・小説・系譜・目録・諸子百家・金石文までも渉猟して考証をなし,その結果によって歴史の事実を定めようとした。著述として,経の分野には《尚書後案》《周礼軍賦説》,史の分野には《十七史商榷(しようかく)》,子の分野には《蛾術編》,集の分野には《耕養斎集》《西沚居士集》がある。
執筆者:谷 光隆
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…しかし,専門に旧中国のことを研究する者にとって第一の材料である点はまちがいなく,人民共和国でも句読点を打った活字の標点本二十四史を刊行している。 なお唐の顔師古の《漢書注》をはじめ,前四史にはとくに優れた数多くの注釈があり,また銭大昕(せんたいきん),王鳴盛をはじめとした清朝の考証学者たちによって,徹底した本文校訂なども行われている(《廿二史考異》《十七史商榷》など)。さらに,表,志を欠く正史については,その増補がこまかく試みられ《二十五史補篇》として集成されている。…
※「王鳴盛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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