中国、後漢(ごかん)の経書学者。「ていげん」ともいう。字(あざな)は康成。北海国高密(こうみつ)県(山東省高密県南西部)の人。下層士族で、幼少より学を好み、地方の税吏となるが辞し、40歳まで洛陽(らくよう)・長安(ちょうあん)を中心に遊学を続けた。第五元先(だいごげんせん)、張恭祖(ちょうきょうそ)、馬融(ばゆう)らに師事し、今文(きんぶん)・古文の経学、緯書(いしょ)、暦数などを広く学び、帰郷後は経書の注釈作成に専念した。党錮(とうこ)の禁に座し、無官のまま、後漢末の動乱を民間の学者として生き抜いた。完存する著述は、『周礼(しゅらい)注』『儀礼(ぎらい)注』『礼記(らいき)注』(『三礼注』と総称。礼学の最大の権威となる)と『毛詩箋(せん)』の4種。ほかに『周易(しゅうえき)』『尚書』『尚書大伝』『論語』『孝経』や緯書、律令に注をつけ、経学総論の『六芸(りくげい)論』、他学者の説を批判した『駁(ばく)五経異義』、『発墨守(はつぼくしゅ)』『箴膏肓(しんこうこう)』『起廃疾(はいしつ)』を著したが、散逸した。集逸書に孔広林の『通徳遺書所見録』などがある。彼の経学は、古文学を基礎として、今文・古文の諸家の説を総合し、両漢経学を集大成した「鄭学(ていがく)」として盛行した。経書間の矛盾の調停、厳密な本文批判、周辺諸分野の知識の活用に意を注ぎ、歴史的発展と形而上(けいじじょう)的枠組みのなかで、経学に体系性を与えることを目ざしていたようであるが、そのために緯書を利用したことは、後世の批判を招いた。もっとも高名な訓詁(くんこ)学者であり、とくに清朝(しんちょう)考証学者たちからは、許慎(きょしん)と並んで尊崇を受けた。
[高橋忠彦 2016年1月19日]
『大川節尚著『三家詩より見たる鄭玄の詩経学』(1937・関書院)』▽『藤堂明保著「鄭玄研究」(蜂屋邦夫編『儀礼士昏疏』所収・1986・汲古書院)』▽『王利器著『鄭康成年譜』(1983・斉魯書社)』▽『張舜徽著『鄭学叢著』(1984・斉魯書社)』
中国,後漢の学者。字は康成,北海高密(山東省)の人。洛陽に遊学して太学で第五元の教えをうけ,また東郡の張恭祖について学び,さらに馬融に7年間師事し,郷里に帰ったときは40歳をすぎていた。清貧をよしとして,農業を営みながら諸生に教授したという。その学徳を慕って来たり学ぶ者は1000人に達している。権勢には近づかず朝廷や貴戚の徴召を断ってひたすら研究に専念した〈純儒〉である。
漢代経学の集大成者であり,すこぶる業績にとむ。しかし独自の新説には乏しく,功績は組織的な計画のもとに諸説を折衷した,いわば整理事業にある。不思議なことに,権力をかたくなに避けた高潔な人格であるのに,その経書解釈には,支配階級のイデオロギーが色濃くただよう。彼の注釈した三礼(《周礼(しゆらい)》《儀礼(ぎらい)》《礼記(らいき)》)が東晋以後学官に立てられ,絶対的な支持をえたことはその傍証となろう。《詩経》の注も,宋の朱子の新注が現れるまで,10世紀の間,唯一の権威ある注釈とされた。このほか《周易》《尚書》《論語》《孝経》など,ほとんどすべての経伝に注釈を施し,《六芸論》《駁五経異義》などを著し,精緻で該博な〈兼綜の学〉そのものである。その本領は礼にあり,三礼の注は心血をそそいだ力作であるが,《周礼》を中心に《儀礼》《礼記》を関連させ,学説を調和して,礼の強固な体系化をはかっており,〈礼は是れ鄭学〉とさえ称される。
執筆者:日原 利国
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127~200
後漢の文献学者。高密(山東省高密県)の人。馬融(ばゆう)に師事。古文を主として,今文(きんぶん)・古文の諸説を折衷統一し,訓詁学(くんこがく)上偉大な功績を残した。代表作『三礼注』『毛詩鄭箋』。
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…中国,後漢の学者。字は康成,北海高密(山東省)の人。洛陽に遊学して太学で第五元の教えをうけ,また東郡の張恭祖について学び,さらに馬融に7年間師事し,郷里に帰ったときは40歳をすぎていた。清貧をよしとして,農業を営みながら諸生に教授したという。その学徳を慕って来たり学ぶ者は1000人に達している。権勢には近づかず朝廷や貴戚の徴召を断ってひたすら研究に専念した〈純儒〉である。 漢代経学の集大成者であり,すこぶる業績にとむ。…
…著書に《五経異義》10巻があるが,すでに滅んだ。ただ同じ後漢の鄭玄(じようげん)に《駁五経異義》の著があり,これも滅んだが,許慎の説をあげて反駁する形をとっているため,逸文によって両者の説の一斑をうかがうことはできる。《説文解字》15編は,漢字の字形からの分析を体系的に行った最古の字書である。…
※「鄭玄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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