改訂新版 世界大百科事典 「生ける法」の意味・わかりやすい解説
生ける法 (いけるほう)
lebendes Recht[ドイツ]
E.エールリヒが作った概念。社会を構成する一般の人々がその相互の関係における行為に妥当するものとして承認し,かつ事実上も通常それに従って行動している準則と定義される。全体社会の下位集団たるもろもろの社会集団(家族,村落,職場,実業界等々)の各々の内部で,それぞれの歴史と実情に即した内容を持ち,独自の非組織的制裁に支えられている。徐々に自生的に生成,発展,衰退,消滅する慣習や習俗規範のみでなく,関係当事者間の個別的な合意や普遍妥当的な実定法規なども,上記のメカニズムによって支持されて,人々の日常的な行動を規定しているときは,生ける法といえる。このように,生ける法とは,社会の一般成員の日常の行動を現実に有効に規定する〈行為規則〉となっている行動型であり,規範的要素のみでなく事実的要素もその要件である。それは,立法とか裁判とかの手続によって明示的なことばで内容が確定され,一般的にどの程度順守されるかにかかわらず全体社会に普遍的に妥当するものとされ,かつ組織的制裁によって強制される実定法規(国家法はこれに当たる)と対置される概念である。エールリヒによれば,実定法規は,多くは人々の行為規範にはなっておらず,ただ紛争のケースに対して裁判機関が決定を下すさいの規準となる〈裁判規範〉(裁判規範・行為規範)として機能するにすぎない。理論的には,社会で自生する生ける法が実定法の究極の源泉であり,実践的には,立法や裁判における法創造にさいして,社会で実際に行われている生ける法を拠りどころとして,社会変動に応じていかなければならないとされる。
この生ける法の探求は,法社会学の一つの重要な任務である。ただ今日では,生ける法を,上記のように一般的な行動との一致という事実的要素のゆえに“法”とすることは,法概念論として疑問視されており(たとえば法社会学論争),今日では,法自体の概念規定に生ける法の考え方が用いられることはない。しかし,国家の実定法と人々の現実の行動とのギャップをきわだたせる概念としての重要性は失われていず,生ける法は,ある場合には実定法の源泉または実効性を支えるメカニズムとして,またある場合には実定法に対する批判の根拠またはその実効性を妨げる要素として,探求の対象となる。また,最近では本来の意味より広く,〈紙の上の法law in books〉に対する〈行動における法law in action〉(裁判官による判決や警察官による法強制など,実定法がその公式の運営機関によって運営される実際の姿を指す)と同じ意味で用いられることもある。
→法社会学
執筆者:六本 佳平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報