デジタル大辞泉
「生田春月」の意味・読み・例文・類語
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いくた‐しゅんげつ【生田春月】
- 詩人。本名、清平。詩集「霊魂の秋」「象徴の烏賊」などのほか、ハイネの紹介者としても知られる。瀬戸内海で投身自殺した。明治二五~昭和五年(一八九二‐一九三〇)
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生田 春月
イクタ シュンゲツ
大正期の詩人,翻訳家
- 生年
- 明治25(1892)年3月12日
- 没年
- 昭和5(1930)年5月19日
- 出生地
- 鳥取県会見郡米子町道笑町(現・米子市)
- 本名
- 生田 清平
- 経歴
- 10歳の頃から詩作を始め、白井喬二らと回覧雑誌を作る。小学校在学中に家業破産し、高等小学校を2年で中退、朝鮮など各地を流浪するなかで、「文庫」などに投稿。明治41年17歳の時に上京、生田長江宅の玄関番兼書生となる。英語、独語などを独学し、44年から「帝国文学」に詩を連載、大正3年「青鞜」同人の西崎花世と結婚。6年第一詩集「霊魂の秋」を、翌7年「感傷の春」を刊行、詩人としての地位を確立。以後、詩人、作家、翻訳家として活躍、翻訳の面では「ハイネ詩集」はじめ25冊の訳書があり、特にハイネ研究に生涯を棒げた。他の詩集に「春月小曲集」「夢心地」「自然の恵み」など。作家としての作品には「相寄る魂」があり、随筆でも「真実に生きる悩み」「山家文学論集」などがある。昭和5年神戸発別府行の汽船菫丸から播磨灘に身を投じて自殺した。没後、遺稿詩集「象徴の烏賊」が刊行された。「生田春月全集」(全13巻 本郷出版社)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
生田春月
没年:昭和5.5.19(1930)
生年:明治25.3.12(1892)
大正時代の詩人,翻訳家。鳥取県会見郡米子町道笑町に生まれる。佐太郎,いわの長男。本名清平。明道尋常小学校から角盤高等小学校に進学,このころ,回覧雑誌に詩作を発表。明治37(1904)年,父が商売に失敗したため一家は朝鮮に渡り,この地で辛酸をなめた。明治41年上京,文学を修業し,またドイツ語を学んだ。大正3(1914)年,青踏同人の西崎花世と結婚。6年『霊魂の秋』,7年『感傷の春』を出版,詩人の地位を確立。ハイネ全集など翻訳も多い。しかし生活は貧しく,堺利彦,大杉栄らから虚無的な思想の感化を受けた。初期のキリスト教的な純情な作風から,後期はアナーキスト的なものに変わった。生来の優しい性格が災いしたものか,三角関係の悩みからともいわれるが,神戸発別府行きの汽船菫丸から投身自殺した。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
生田春月【いくたしゅんげつ】
詩人。本名清平。鳥取県生れ。生田長江に入門,《霊魂の秋》(1917年),《感傷の春》(1918年)で世に出たが,1930年,《象徴の烏賊(いか)》を残して瀬戸内海で投身自殺をとげた。これらの甘美で感傷的な詩集のほかに小説《相寄る魂》,ゲーテ,ハイネの訳詩集などがある。
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生田春月
いくたしゅんげつ
[生]1892.3.12. 鳥取,米子
[没]1930.5.19. 兵庫
詩人。本名,清平。父が事業に失敗したため苦闘の青年時代を過ごしたが,1908年上京し生田長江に師事し,詩作を始めるかたわら独学でドイツ語を修得した。第1詩集『霊魂の秋』 (1917) で甘美で感傷的な情調象徴詩風を示し,続く『感傷の春』 (1918) の成功とあわせて詩人としての地位を確立した。しかし,アナーキズムの影響を受けたこともあってしだいに虚無的な詩風に近づき,行き暮れた孤独と寂寥感をうたった『象徴の烏賊 (いか) 』 (1930) を残し,播磨灘で投身自殺した。
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生田春月
いくたしゅんげつ
(1892―1930)
詩人。鳥取県米子(よなご)市に生まれる。本名清平。生家の破産により幼時より貧困のなかで独学。生田長江宅に寄寓(きぐう)したこともある。詩集『霊魂の秋』(1917)と『感傷の春』(1918)で詩人の地歩を固め、ゲーテやハイネの翻訳でも活躍した。人道主義的社会思想から「虚無的生命主義」に向かったが、昭和5年5月19日、船上より播磨灘(はりまなだ)に投身して没した。
[角田敏郎]
『広野晴彦編『生田春月詩集』(1981・弥生書房)』
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生田春月 いくた-しゅんげつ
1892-1930 大正-昭和時代前期の詩人。
明治25年3月12日生まれ。生家の破産で朝鮮,大阪などを流浪。のち上京して生田長江の書生となり,ドイツ語をまなぶ。大正6年第1詩集「霊魂の秋」でみとめられ,翌年「感傷の春」を刊行。翻訳に「ハイネ詩集」など。昭和5年5月19日播磨灘(はりまなだ)で投身自殺。39歳。遺稿詩集に「象徴の烏賊(いか)」。鳥取県出身。本名は清平。
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生田 春月 (いくた しゅんげつ)
生年月日:1892年3月12日
大正時代の詩人;翻訳家
1930年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の生田春月の言及
【ドイツ文学】より
…茅野蕭々(1883‐1946)の《リルケ詩抄》(1927)は名訳の評判が高く,堀辰雄や立原道造をリルケの世界に近づけた。ヘルダーリンに心酔した伊東静雄を含め,日本浪曼派はドイツ文学から深い影響をうけているが,その一方,生田春月の訳編になる《ハイネ詩集》(1917)の意義も特筆に値しよう。中野重治や舟木重信のハイネ研究に受け継がれて,革命詩人としてのハイネのイメージが早くから築かれたからである。…
※「生田春月」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」