改訂新版 世界大百科事典 「世界法」の意味・わかりやすい解説
世界法 (せかいほう)
〈世界法Weltrecht〉という名称は1888年にボン大学教授ツィーテルマンErnst Zitelmann(1852-1923)が行った〈世界法の可能性Die Möglichkeit eines Weltrechts〉と題する講演に由来する。ツィーテルマンおよび彼の後継者クラインPeter Kleinが論じた世界法とは国際的に統一された内容をもつ私法のことである。日本の代表的商法学者の一人でありカトリック自然法論の唱道者でもある田中耕太郎はその大著《世界法の理論》(全3巻,1932-34)と《続世界法の理論》(全2巻,1972)において,独自の世界法論を展開したが,彼の世界法概念は普遍人類共同体としての世界社会を規律するいっさいの法を意味し,いわゆる〈統一法〉だけでなく,法の抵触や国籍の抵触を処理する国際私法,さらに国際法をも含む。田中の世界法論は主権国家秩序を超えた普遍人類的基盤に立つ世界社会の法が,単なる理念にとどまらず,部分的には現実的に存在することを主張する。その根拠にされているのは,〈社会あるところ,法ありUbi societas,ibi jus.〉という伝統的に受容されてきた命題と,超国家的世界社会が現実に生成しつつあるという判断である。超国家的世界社会の実在性の主張を基礎づけているのは,社会生活,共同生活への傾向性と人類愛を人間の人格的存在の本質とみなすカトリック的自然法論特有の人間観と,世界経済の発展とともに国籍を異にする私人・企業主体間に超国家的な法的関係が形成されてきているという認識,さらに,商取引における技術的・合理的思考の普遍性に基づく統一法の発展,国際私法的規律の存在などである。国際社会の組織化と個人に国際法の主体としての地位を認めるケースの増加とともに主権国家中心の近代国際法秩序に変動のきざしが見えている現在,田中の世界法論は発想の転換を促すうえで重要な役割を果たしうる。しかし,新興独立国家が国家主権の絶対性を主張し,自由主義陣営と社会主義陣営との間に厚い体制的相違の壁が存在する現実は,世界社会の存立・発展に関する楽観的な見通しを許さない。
執筆者:井上 達夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報