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田代栄助 たしろえいすけ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田代栄助
たしろえいすけ

[生]天保5(1834).1. 秩父
[没]1885.5.18. 熊谷
1884年の秩父事件の農民軍指導者。田代源佐衛門嘉之の5男,同郷の田代関次郎の養子。農業を営むかたわら,三百代言の稼業もした。当時,秩父地方は,松方正義デフレ政策の影響で倒産が続出し,土地を逃げ出す者が多かったので,田代は 1883年の秋頃から,負債延期運動を落合寅市井上伝蔵らとともに推進し,役所などに訴えたが聞き入れられなかった。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田代栄助 たしろ-えいすけ

1834-1885 明治時代の自由民権運動家。
天保(てんぽう)5年8月14日生まれ。農業のかたわら訴訟や談判の仲裁役などをつとめる。明治17年秩父困民党に参加し,同党蜂起(ほうき)の際に推されて総理となった。進撃の途中本陣を離脱し,潜伏中捕らえられ,明治18年5月17日処刑された。52歳。武蔵(むさし)秩父郡(埼玉県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

田代栄助

没年:明治18.5.17(1885)
生年:天保5.8.14(1834.9.16)
明治時代前期の侠客,秩父事件中心人物。武蔵国秩父郡(埼玉県)大宮郷字熊木の旧家に生まれる。明治17(1884)年9月井上伝蔵らに請われて秩父困民党の最高幹部となり,11月1日秩父事件蜂起に際し,困民党軍総理に選ばれた。しかし3日後には戦線から離脱・敗走,まもなく逮捕され,翌18年2月死刑判決を言い渡され,5月17日熊谷監獄で処刑された。田代の戦線離脱については,持病再発説と変心説の両説がある。<参考文献>千嶋寿『困民党蜂起』

(寺崎修)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

たしろえいすけ【田代栄助】

1834‐85(天保5‐明治18)
秩父事件の困民軍総理。大宮郷(現,秩父市)の名門の出で,農業のかたわら俠気から仲裁や訴訟に携わる。1884年,秩父郡西部で困民党が結成されると請われて幹部となり,軍資金奪取のため強盗をおこない,11月1日蜂起に際しては総理となった。関東一斉蜂起論に幻想を抱いたが,比較的穏和で,高利貸打倒を目標とした。小鹿野町から大宮,皆野に進撃したが,4日には士気阻喪し,本陣を解体して秩父山中に姿を隠し,9日逮捕された。

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大辞林 第三版の解説

たしろえいすけ【田代栄助】

1834~1885) 秩父ちちぶ事件の指導者。武蔵の人。1884年(明治17)秩父困民党の結成に加わり、総理となって蜂起ほうきを指導。捕らえられて翌年、刑死。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田代栄助
たしろえいすけ
(1833―1885)

秩父(ちちぶ)事件の総理(最高指導者)。武蔵(むさし)国秩父郡大宮郷(おおみやごう)(埼玉県秩父市)の旧家に生まれる。生来の侠気(きょうき)から農業のかたわら貸借上の仲裁などを引き受けていた、親分というべき人物である。1884年(明治17)2月自由党に入党を申し込み、秩父困民(こんみん)党の結成が進むと招請され、9月これに参加した。高利貸の説諭請願運動が行き詰まったため、困民党は蜂起(ほうき)に傾き、田代らは資金調達のため強盗を行った。11月1日下吉田(秩父市)の椋(むく)神社で蜂起し、田代は総理となり、その日小鹿野(おがの)、2日大宮郷に侵入して官庁を占領し、高利貸を襲撃した。3日皆野(みなの)に向かう途中持病を発し、4日午後になると戦意を喪失して本陣を離脱した。いったん山中に隠れたが、14日人里に出て逮捕され、翌年5月、熊谷(くまがや)において処刑された。[井上幸治]

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世界大百科事典内の田代栄助の言及

【秩父事件】より

… 1884年8月,生糸の安値に絶望的になった負債農民の山林集会は主として秩父西部でしきりに繰り返され,そのつど警官に解散させられたが,この間に困民党の組織の輪は広がっていった。9月に32ヵ村にわたって在地オルグによる指導組織ができあがると,大宮郷(現,秩父市)の田代栄助が招請され,加藤織平,井上伝蔵らと幹部集団を形成した。こういう動員組織の確立する過程で農民にとって困民党参加は自由党加盟と同じ意味となり,自由党盟約は農民的に読み替えられ,生存維持の現実問題となり,〈板垣さんの世直し〉が標語となる。…

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