田村俊子(読み)タムラトシコ

デジタル大辞泉 「田村俊子」の意味・読み・例文・類語

たむら‐としこ【田村俊子】

[1884~1945]小説家東京の生まれ。本名佐藤とし。幸田露伴師事し、同門の小説家田村松魚結婚男女相克世界官能的に描いた。作「あきらめ」「木乃伊ミイラの口紅」など。

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精選版 日本国語大辞典 「田村俊子」の意味・読み・例文・類語

たむら‐としこ【田村俊子】

  1. 小説家。東京出身。本名佐藤とし。日本女子大中退。幸田露伴に師事。同門の小説家田村松魚と結婚。はじめ官能の世界を執拗に描き注目されたが、次第に生活が乱れ創作力が落ちた。のち海外で長く暮らし、文壇から退いた。著作「あきらめ」「木乃伊口紅」など。明治一七~昭和二〇年(一八八四‐一九四五

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20世紀日本人名事典 「田村俊子」の解説

田村 俊子
タムラ トシコ

明治・大正期の小説家



生年
明治17(1884)年4月25日

没年
昭和20(1945)年4月16日

出生地
東京府浅草区蔵前(現・東京都台東区)

本名
佐藤 俊子(サトウ トシコ)

別名
別名=佐藤 露英,田村 とし子,市川 華紅,中国名=左 俊芝

学歴〔年〕
日本女子大学国文科〔明治34年〕中退

経歴
日本女子大中退後、幸田露伴に入門、田村松魚と知り合う。明治36年「露分衣」を発表。その後、舞台女優となったが、44年「あきらめ」が大阪朝日新聞の懸賞小説に一等当選し、以後作家となり、「誓言」「木乃伊の口紅」「女作者」「炮烙の刑」などを発表。大正7年「破壊した後」の発表後、カナダバンクーバーに行き、民衆社を経営したりする。昭和11年帰国し、作家として復帰するが、中央公論社特派員として中国に渡り、後に上海で華字女性雑誌「女声」を刊行した。没後の36年印税を基金にした田村俊子賞が設置された。

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改訂新版 世界大百科事典 「田村俊子」の意味・わかりやすい解説

田村俊子 (たむらとしこ)
生没年:1884-1945(明治17-昭和20)

小説家。東京生れ。旧姓は佐藤。別号露英。生家は浅草蔵前の商家。府立第一高女から日本女子大国文科に進んだが中退。1902年(明治35)幸田露伴の門に入り,露英の号を与えられ《露分衣(つゆわけごろも)》を発表した。同門の兄弟子田村松魚と恋愛,09年結婚。松魚に勧められて《大阪朝日新聞》の懸賞小説に応募,《あきらめ》が1等当選となり,11年同紙に連載されて文壇に進出した。花形女流作家として《女作者》《木乃伊(みいら)の口紅》《炮烙(ほうらく)の刑》などのデカダン風の諸作品が注目された。やがて松魚と別れ,鈴木悦と恋愛,18年悦のあとを追ってカナダに渡った。36年帰国,一時文壇にも復帰したが諸事情のため中国に渡り,大戦下の上海で客死した。61年田村俊子賞が設けられ,女流作家のすぐれた作品に与えられている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田村俊子」の意味・わかりやすい解説

田村俊子
たむらとしこ

[生]1884.4.25. 東京
[没]1945.4.16. 中国,上海
小説家。本名,佐藤とし。日本女子大学国文科を病気中退。幸田露伴に師事し,同門の田村松魚と結婚。一時期女優を志したが,『大阪朝日新聞』の懸賞小説に長編『あきらめ』 (1911) が1等当選して文壇に登場。『誓言』 (12) ,『嘲弄』 (12) ,『遊女』 (13,のち『女作者』と改題) ,『木乃伊 (ミイラ) の口紅』 (13) ,『圧迫』 (15) など強烈な官能描写を通じて自意識の相克を描き,第一線の流行作家となった。しかし生活面では浪費癖のため破綻をきたし,愛人のあとを追ってカナダへ脱出 (18) ,18年間在住した。 1936年帰国,再起を試みたが成功せず,中国に渡り雑誌『女声』発行に従事したが客死した。 60年女流文学者の作品,活動に授与される田村俊子賞が設けられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田村俊子」の解説

田村俊子 たむら-としこ

1884-1945 明治-昭和時代前期の小説家。
明治17年4月25日生まれ。幸田露伴に師事。田村松魚(しょうぎょ)と結婚。明治44年「あきらめ」でみとめられ,女性の解放を官能的な筆致でえがいた「木乃伊(ミイラ)の口紅」などで流行作家となる。大正7年愛人の鈴木悦を追ってカナダにわたる。のち上海で「女声」を創刊。昭和20年4月16日同地で急死した。62歳。東京出身。日本女子大中退。旧姓は佐藤。本名はとし。
【格言など】私があなたの生活を愛さないと云うなら,あなたは私の芸術を愛さないと云わなけりゃならない(「木乃伊の口紅」)

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百科事典マイペディア 「田村俊子」の意味・わかりやすい解説

田村俊子【たむらとしこ】

小説家。本名佐藤とし。東京生れ。日本女子大中退。幸田露伴に師事,一時女優として舞台にも立った。1911年《あきらめ》が大阪朝日の懸賞小説に当選,女性作家としてはなやかに文壇に出た。《嘲弄》《遊女》(のち《女作者》と改題),《木乃伊(ミイラ)の口紅》など,官能と男女の相克をテーマとした独特の耽美的作品でひろく話題をよんだ。大戦下の上海で客死。1961年田村俊子賞が設けられた。

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デジタル大辞泉プラス 「田村俊子」の解説

田村俊子

瀬戸内晴美(のちの寂聴)による、女流作家・田村俊子の評伝。著者が故人を知る人を訪ね歩き、知られざる作家の素顔と生涯を掘り起こした労作。1961年刊行。第1回田村俊子賞受賞。

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367日誕生日大事典 「田村俊子」の解説

田村 俊子 (たむら としこ)

生年月日:1884年4月25日
明治時代;大正時代の小説家
1945年没

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世界大百科事典(旧版)内の田村俊子の言及

【カナダ】より

…日本とカナダはほぼ同時に近代国家として出発したが,その後の日加交流の大きな部分は,日本人移民,カナダ人宣教師によって担われた。カナダへの日系移民の研究は最近非常に盛んになっており,1918年から18年間をバンクーバーで送り,鈴木悦とともに日系労働者の組織化に尽力した女流作家田村俊子の事績も明らかにされている。カナダから日本へ来住し教育・社会福祉に活躍した宣教師は1873年のG.L.カックラン,D.マクドナルドを皮切りとして,枚挙にいとまがない。…

※「田村俊子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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