本来ある事柄に特定されない人々を指したが,やがて一定の資格をもたぬ人々,さらに庶民をさす身分用語に転化した中世語。甲・乙は現在のイ・ロやA・Bと同じく固有名詞に代用する記号で,甲日乙日,甲所乙所のように用いられた。甲乙人は甲人乙人丙人……の総称,つまりだれでもよい不特定の人間の呼び名として使用された。たとえば〈この田は貴方の父からもらったものではなく甲乙人から買ったもの〉という文章では,伝領に無関係で固有名詞を示す必要のない第三者を指している。ところが鎌倉中期以後になると,〈甲乙人等とは凡下(ぼんげ)百姓等事なり〉(《沙汰未練書》)といわれるように,貴族や侍以外の一般庶民をさす身分的な用法がむしろ普通になり,裁判などで甲乙人と呼ばれた武士が相手を悪口罪で訴えるという場合すらあったほどである。こうした意味変化,もしくは混用を生じた原因は,土地所有における甲乙人の用法にあると思われる。このころ〈非器(ひき)の甲乙人〉という用法が頻出するが,これは本来その所職を知行する正当な器量(資格)をもたない者,たとえば神領を知行する資格のない者が売買譲与によって神領を知行すると,それを非器甲乙人の知行と非難した。したがって将軍から与えられた恩領を知行できる器用の者は御家人のみで,それ以外の人間は貴族も侍も非器の甲乙人であった。しかし中世のあらゆる土地所有にとって本来的にはつねに非器の甲乙人であったのが,凡下百姓たちであり,ここに甲乙人といえば凡下百姓を指すようになる契機があったと思われる。このことを裏返してみれば,彼らが金銭などの力によって,現実に従来知行することのなかった諸々の所職を手中にする時代が始まったことを意味する。
執筆者:笠松 宏至
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中世の一般民衆を示す身分呼称の一つ。凡下(ぼんげ)と同じ。もとは甲の人,乙の人といった特定されない第三者を示した。鎌倉幕府法では所領・所職をもたない雑人(ぞうにん)をさす。幕府は御家人所領が甲乙人に移動することを強く警戒し,所領・所職の保有や御家人化を規制した。侍身分である侍品(さぶらいほん)と区別されて,きびしい身分規制をうけた。御家人にとっては凡下と同様,一種の蔑称・悪口であった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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