凡下(読み)ボンゲ

デジタル大辞泉 「凡下」の意味・読み・例文・類語

ぼん‐げ【凡下】

[名・形動]
平凡で、すぐれたところのないこと。また、その人や、そのさま。
「私は全く―な執着に駆られて」〈有島・惜みなく愛は奪ふ
身分の卑しいこと。また、その人。
中世、侍身分に属さない一般庶民の称。甲乙人雑人ぞうにん

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精選版 日本国語大辞典 「凡下」の意味・読み・例文・類語

ぼん‐げ【凡下】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ( 形動 ) すぐれたところのないこと。平凡なこと。また、その人やそのさま。凡夫凡人
    1. [初出の実例]「毗盧の身土の卑しきを、凡下の一念こえずとか、阿鼻の依正の卑しきも、聖の心に任せたり」(出典:梁塵秘抄(1179頃)二)
    2. [その他の文献]〔楊慎画品‐山水〕
  3. ( 形動 ) 身分の卑しいこと。また、その者やそのさま。
    1. [初出の実例]「人々云、於禁中為不被行発葬之礼、有以御車可奉遷他所之儀云々、先例凡下人如此之時、乍車安置、而発葬之日用同車、而奉遷之時、御車、発葬之日、御輿頗可有両端憚歟者如何」(出典:左経記‐類聚雑例・長元九年(1036)四月二〇日)
    2. 「其身ぼんげなりといへ共くゎんいをすすみける事、有がたきためしなり」(出典:御伽草子・ささやき竹(室町末))
  4. 中世、侍の身分に対置して一般庶民をさす身分上の用語。法律用語として使用されることが多かった。甲乙人。地下人
    1. [初出の実例]「右於侍者可収所領〈略〉凡下、輩者可火印於其面也」(出典:御成敗式目(1232)一五条)

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改訂新版 世界大百科事典 「凡下」の意味・わかりやすい解説

凡下 (ぼんげ)

中世の身分用語。12世紀には登場し,もともとは官位をもたない無位白丁の人々,俗人や修行未熟の僧など,凡人・凡夫の意味で用いられた。しかし〈〉の用語が貴族に仕える下級有位者から武士へと変化するにつれ,これと対置される一般庶民を指す身分用語となった。鎌倉幕府法によると,訴訟人の座籍は,〈侍〉が客人の座,〈郎等〉が広庇(ひろびさし)であったのに対し,〈雑人(ぞうにん)〉は大庭と定められて屋内への参昇を許されなかったが,この雑人が凡下であり,甲乙人(こうおつにん)とも呼ばれた。時には侍に対して郎等・郎従を含めた者が凡下と呼ばれたこともあり,1261年(弘長1)の追加法では,〈雑色(ぞうしき),舎人(とねり),牛飼,力者(りきしや),問注所・政所下部(しもべ),侍所小舎人以下,道々工商人等〉を〈凡下輩〉としている。彼らは鎌倉市中での騎馬太刀,夜行の際の弓箭携行を禁じられ,倹約条例では衣料に筋染や綾・練貫等の使用,烏帽子懸足袋の着用を禁止されている。また犯罪の取調べでは侍と違って拷訊(ごうじん)が認められ,刑罪としては,侍が所領没収などの財産刑を主としたのに対し,凡下は顔に火印をおされたり,軽罪でも禁獄や片鬢剃などの肉体的処刑をうけることが多かった。

 幕府は凡下を御家人とは認めず,その名主職の安堵も行わないことを原則とし,幕府への参昇を禁じ,御家人の所領が彼らの手に入ることを強く警戒している。彼らは一般に官位をもたず名字も持たなかったが,有力な侍の郎等・郎従の中には名字や位階をもつ事例も多く,陪臣であっても所領をもつ郎等は〈侍品〉に属していたため,主人との関係を通じて身分区別は相対的となりやすく,また従来からの朝廷との距離による身分序列との間には多少のずれがあり,身分差別も江戸時代ほど固定的・絶対的ではなかった。公家側でもしばしば身分別の服飾禁令を出し,身分秩序の固定化をはかっているが,容易には守られず,経済的変動が激しくなる鎌倉末期には,侍品か凡下かの身分所属が訴訟の際の争点ともなっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「凡下」の意味・わかりやすい解説

凡下
ぼんげ

中世において侍(さむらい)身分以外の一般庶民を意味した身分称呼。おもに鎌倉時代に用いられた。甲乙人(こうおつにん)、雑人(ぞうにん)などともいわれ、幕府諸機関の下級職員や手工業者、商人なども含むが、一般的には百姓を意味することが多かった。凡下・百姓は、侍、下人(げにん)・所従(しょじゅう)とともに、中世の基本的な身分を構成するといわれ、したがって、幕府法には侍身分との区別が、刑罰や服装などを中心に明確に規定されている。たとえば、侍の刑罰は所領没収などの財産刑に特色があったのに対し、凡下のそれは禁獄や火印を面に捺(お)す、「片方鬢髪(びんぱつ)」を剃(そ)るなどの体刑が特色であった。また、凡下は烏帽子懸(えぼしかけ)・足袋(たび)の使用や鎌倉市中における騎馬が禁じられており、御家人(ごけにん)になることはもちろんできなかった。中世後期には地下人(じげにん)などともよばれた。

[木村茂光]

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普及版 字通 「凡下」の読み・字形・画数・意味

【凡下】ぼんげ

下等。〔画品、山水〕李の峰巒(ほうらん)・林屋・雲景は、皆淡を以て之れを爲し、水天の處には、(すべ)て塡(ふんてん)を用ふ。~其の妙を知ること(な)し。後學の下を見るに足る。

字通「凡」の項目を見る

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百科事典マイペディア 「凡下」の意味・わかりやすい解説

凡下【ぼんげ】

甲乙人(こうおつにん)とも。中世の身分用語。鎌倉時代,一般庶民をさし,幕府法上侍とは厳重に区別されていた。室町時代以降は地下人(じげにん),土民などと呼ばれた。
→関連項目有徳人徳政流罪

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「凡下」の解説

凡下
ぼんげ

中世,一般民衆を示す身分呼称の一つ。甲乙人(こうおつにん)と同じ。もとは凡人・凡夫の意で,官位のない無位の白丁(はくてい)などをさした。侍が武士を意味するようになると,それ以下の者を凡下とよぶようになった。鎌倉幕府は侍以下の雑人を凡下と法的に規定して,諸種の身分規制を定めた。犯罪の取調べでは侍と異なり拷問がなされ,刑罰でも侍がおもに所領没収などの財産刑だったのに対し,凡下には火印(かいん)や片鬢剃(かたびんぞり)などの肉刑がなされた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「凡下」の解説

凡下
ぼんげ

鎌倉時代,侍身分に属さない一般庶民の呼称
甲乙人 (こうおつにん) ともいう。御家人・非御家人などの侍とは厳重に区別され,また最下層の下人・所従・奴婢 (ぬひ) とも区別された。幕府法では,侍と凡下は刑法その他において異なる待遇をうけている。室町時代以降は地下人とか土民と呼ばれた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「凡下」の意味・わかりやすい解説

凡下
ぼんげ

鎌倉~室町時代の身分呼称。甲乙人ともいった。主として鎌倉幕府法において,侍身分に属さない一般庶民をさしていった言葉。刑法その他の面で,とは厳重に区別されていた。

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世界大百科事典(旧版)内の凡下の言及

【地侍】より

…研究史上では,土豪・上層名主(みようしゆ)・小領主・中世地主などともいわれ,とくに一揆の時代といわれる戦国期の社会変動を推進した階層として注目される。中世社会の基本身分は・凡下(ぼんげ)・下人(げにん)の三つから成っていたが,中世後期の村落でも〈当郷にこれある侍・凡下共に〉〈当郷において侍・凡下をえらばず〉(〈武州文書〉)というように,侍と凡下は一貫してその基本的な構成部分であった。地侍はこの村の侍の俗称であり,凡下の上に位置していた。…

【無足人】より

…鎌倉期,将軍の側近や武士などにも〈無足近仕〉(《吾妻鏡》)とか,〈無足の身に候ほどに,在所いづくに候べしとも覚えず〉(《蒙古襲来絵詞》)といわれるような無足人は多く,幕府法でも所領,所帯の有無で刑罰を異にした(《御成敗式目》)。室町・戦国期,無足人は〈無足,不足之仁〉ともいわれて御家人とも凡下(ぼんげ)とも別に扱われ,刑罰の適用も〈さぶらいたらば,しよたいをけつしよすべし,所帯なくばたこくさせべし,地下のものたらば,そのおもてにやきがねをあてべし〉というように,侍は所領没収,無足の輩は他国追放,それ以下の地下人=凡下は顔に焼判(身体刑)というように,侍とも凡下とも区別された(《大内氏掟書》《塵芥集》)。《日葡辞書》は〈チギャウの不足を補うに足る収入も恩給もない人〉,転じて不足,無収入の貧しい軽輩とする。…

※「凡下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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