町代(読み)ちょうだい

世界大百科事典 第2版の解説

ちょうだい【町代】

近世京都における江戸幕府町政の末端補助者,またその機構。上京,下京の親町組組のうち1ないし数組を担当して,主として町中への触の伝達,禁中作事の人足割当て,年寄の年頭拝礼江戸下りの随行,将軍・所司代上洛時の出迎え,上使・二条城番衆の宿割,公事日の出仕や町中訴願の取次ぎなどを行ったもの。身分は町人だが,町年寄のように町組自治には参加しない。通説では町組を代表する年寄と役所を仲介して雑務を弁じた使用人,いわゆる〈町役の代理人〉だとするが,これは1818年(文政1)に裁決をみた町代改義一件で確定したもので,その職務も性格も,成立期以来かなりの変化がある。

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大辞林 第三版の解説

ちょうだい【町代】

江戸時代、町年寄・町名主の補助をするための町役人。江戸では書役かきやくともいい、自身番に出勤して文書作成などの事務にあたり、大坂では、町会所に出勤してすべての町務を代行した。京都では町年寄をしのぐ勢力となり、全市を一五区に分け一七人の町代が世襲して分掌・支配し、町奉行所にも出仕した。

まちだい【町代】

町代ちようだいの、主として京都における呼称。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

町代
ちょうだい

近世都市の町(ちょう)に雇用され、町役人(ちょうやくにん)のもとで町運営上のさまざまな下級事務に携わった専業者。江戸や大坂では町代、京都では町用人(ちょうようにん)・用人と呼ばれた。その主な職務は、各都市によって多少の相違がみられるが、江戸の場合、(1)町触(まちぶれ)の伝達、(2)町入用事務、(3)各種文書の作成、などである。町代は、町を維持・運営するうえで必要不可欠な存在であり、このため町抱(ちょうがかえ)とされた。町抱とは、町によって雇用されるのみならず、人格的にも支配を受けるというもので、とくに京都の用人はその典型としての特徴を有している。[杉森哲也]
『菅原憲二著「近世京都の町と用人」(高橋康夫・吉田伸之編『日本都市史入門3』所収・1990・東京大学出版会)』

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世界大百科事典内の町代の言及

【番太郎】より

…このほか,江戸には出床(でどこ)の髪結が番人を兼ねていたり,〈非人〉の物貰いを制道(せいどう)(統制というほどの意味)するために町内に〈番非人〉を置く所もあったが,これらはいずれも番太とは呼ばれていない。 大坂の場合,町ごとに会所があり,そこに町代がいたが,彼らは番人ではない。各町には店借の夜番人が雇われて,木戸の番や夜警などに従事しており,大坂ではこの夜番人が番太であったと考えられる。…

【町組】より

…年行事は所司代,東西町奉行への年頭拝礼,就任拝礼,夫銀(ぶぎん)などの納入,町入費の徴収などを行い,月行事は町への触(ふれ)の伝達や臨時入費,勧化奉納金などの徴収などを行ったという。また〈大割寄合〉も,江戸中期には一時町代(ちようだい)の勘定にとってかわられたが,1817年(文化14)町代の専横を訴えた〈町代改儀一件〉で翌年(文政1)町組が勝訴すると,新設の上・下京の統一的自治運営機関〈大仲(おおなか)〉のもとで復活した。 なお,町の連合自治組織としての〈町組〉は,京都のほかにも堺,近江八幡,大津など,主として織豊政権下に形成・発達した近世都市に少なからず認められる。…

【町名主】より

…農村を支配する名主と区別して町名主と呼んだ。職名も都市により相違があり,大坂では町年寄,岡山では名主年寄,仙台では検断・肝煎(きもいり),若松では検断,名古屋・犬山・長岡では町代,姫路では年寄,金沢では肝入,岡崎・飯田では庄屋,駿府では丁頭など多様な名称が用いられている。 1590年(天正18)徳川家康が江戸に入ったとき,町の支配役としては(1)入国以前から江戸にいた者から取り立てられた者がおり,さらに(2)家康入国後命ぜられた者,(3)江戸で町屋が建設されるさいに町役頭ないし名主と呼ばれた者がいた。…

※「町代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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