作家、詩人、ミュージシャン。本名町田康(やすし)。大阪府堺市生まれ。小学校に上がるまで岸和田、奈良、神戸などの関西の地方都市を転々とする。河内音頭、浪曲などに日常的に接する環境で育った。高校時代にパンク・ロックに出会い、町田町蔵(まちぞう)名で音楽活動を始める。やがてバンド「INU」を結成、1981年(昭和56)、アルバム『メシ喰うな!』を発表した。バンドでは作詞だけでなく作曲も行い、演奏ではボーカルを担当。以後、バンドの結成と解散を繰り返し、後の町田康名義の活動まで音楽活動は長期にわたる。『どてらい奴ら』(1986)、『ほな、どないせぇゆぅね』(1987)、『腹ふり』(1992)、『駐車場のヨハネ』(1994)、『どうにかなる』(1995)、『脳内シャッフル革命』(1997)などのアルバムがある。1982年からは俳優としても活躍しており、石井聰亙(1957― )監督『爆裂都市』(1982)、山本政志(1956― )監督『ロビンソンの庭』(1987)、若松孝二(1936―2012)監督『エンドレス・ワルツ』(1995)といった映画に出演した。1992年(平成4)、バンド時代の歌詞と書き下ろしを合わせて詩集『供花(くうげ)』を刊行、反響を呼んだ。やがて小説を書きはじめ、1996年に発表した同名の処女作品を収めた『くっすん大黒』でドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞を受賞(1997)。つづけて『夫婦茶碗(めおとぢゃわん)』(1998)、『屈辱ポンチ』(1998)を刊行、2000年「きれぎれ」で芥川賞を受賞し、一躍人気作家の一人となった。その作品で特筆されるのは、独特のリズムをもった文体と徹底してだめな人間を描く視線の低さである。落語や講釈を思わせる語り物の魅力を備えた文体は、生まれ育った環境で接してきた河内音頭や浪曲、関西の話し言葉などの影響が指摘されているが、好んでだめな人間を取り上げるのも、落語や講談といった大衆芸能に対する彼の共感から理解される。しかしその私小説的な伝統に連なる内容にもかかわらず、作品はけっしてじめじめとした暗さに支配されることがなく、かわいた笑いに貫かれている。その点で、パンク・ロックの精神と結びついているともいえる。また、濃密な世界を作り上げながら途中で物語を放棄してしまう弊がないではないが、そのぶっきらぼうな面がエッセイでは非常な魅力となっている。エッセイ集に『へらへらぼっちゃん』(1998)、『つるつるの壺』(1999)、『耳そぎ饅頭』(2000)などがある。10年ぶりの第二詩集『土間の四十八滝(しじゅうはったき)』(2001)では萩原朔太郎賞を受賞した。詩においてもエッセイにおいても、町田節としかいいようのない声が聞こえてくるが、理知的で抽象的な言葉ばかりが目立つ現代文学に作者の声を取り戻した点で評価される作家である。他に、荒木経惟(のぶよし)(1940― )の写真に文章をつけた『俺、南進して。』(1999)のような作品もある。
[田中和生]
『『屈辱ポンチ』(1998・文芸春秋)』▽『『へらへらぼっちゃん』(1998・講談社)』▽『『つるつるの壺』(1999・講談社)』▽『『俺、南進して。』(1999・新潮社)』▽『『きれぎれ』(2000・文芸春秋)』▽『『実録・外道の条件』(2000・メディアファクトリー)』▽『『耳そぎ饅頭』(2000・マガジンハウス)』▽『『土間の四十八滝』(2001・メディアファクトリー)』▽『『供花』『夫婦茶碗』(新潮文庫)』▽『『くっすん大黒』(文春文庫)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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