他人をその意思に反して、従来の生活環境から自己または第三者の実力支配下に移す罪。現在の刑法には、第2編第33章に「略取、誘拐及び人身売買の罪」という規定(224条~229条)がある。刑法では「略取」と「誘拐」とは区別され、前者が暴行・脅迫を手段とする場合であるのに対し、後者は欺罔(ぎもう)(あざむきだますこと)や誘惑という非暴力的手段による場合をいう。法学では、これら略取と誘拐を総称して「拐取(かいしゅ)」という専門用語が用いられるが、日常用語としては、この「拐取」が「誘拐」とよばれることも多い。
略取・誘拐は、被拐取者の場所的な移動の自由を侵害するばかりでなく、その生命・身体にも危険が及ぶことが多く、さらに近親者その他周辺の人々に対し社会不安を生じさせるため、古くから重大犯罪として重く処罰されてきた。その動機や目的は時代により変化がみられるが、酷使・搾取のための拐取、略奪結婚のための婦女の拐取、政治目的による要人の拐取など多様である。アメリカでは、リンドバーグ事件(1932年、飛行家リンドバーグの長男が連れ去られ、殺害された事件)を契機として各州の刑法が身代金(みのしろきん)誘拐について厳罰を規定するに至った。日本でも、第二次世界大戦後、雅樹(まさき)ちゃん事件(1960)、吉展(よしのぶ)ちゃん事件(1963)など身代金目的の誘拐事件が続発したため、1964年(昭和39)の刑法一部改正により、身代金目的の拐取はより重く処罰され(225条の2)、またその予備罪(228条の3)も処罰されることとなった。さらに、2000年に国際連合で採択された「国際組織犯罪防止条約人身取引議定書」が人身取引行為を犯罪とするための立法を義務づけていることから、2005年(平成17)の刑法改正で、従来の「略取及び誘拐の罪」が「略取、誘拐及び人身売買の罪」となり、人身売買罪が新設されるとともに、犯罪類型も改められ、刑罰も引き上げられた。その犯罪類型は、拐取の対象(未成年者か否か)や目的(営利、猥褻(わいせつ)、結婚、身代金取得など)、さらに行為の態様(略取・誘拐、身代金要求、所在国外移送、人身売買など)により、次のように分かれる。
[名和鐵郎]
未成年者(民法により18歳未満の者)を略取または誘拐する罪であり、3月以上7年以下の懲役に処せられる。未遂も処罰される(228条)。未成年者の保護を目的とし、基本的には未成年者自身の自由が、その保護法益である。しかし、未成年者を監護すべき者(親権者など)の監護権もこれに含まれるため、未成年者本人の同意があっても監護権者の意思に反する場合や、一方の監護権者が他の監護権者の監護権を侵害する場合(親同士による幼子の奪い合いなど)にも、違法阻却事由にあたらなければ、本罪が成立しうる。さらに、監護権者が未成年者である被監護権者の意思に反して略取・誘拐する場合(たとえば、親が家出をした17歳のわが子を無理やり自宅へ連れ帰る事案など)についても、本罪の成立する余地がある(ただ、監護権や懲戒権の行使として違法阻却にあたる場合が少なくない)。なお、未成年者を略取・誘拐する場合であっても、第225条以下が規定するいずれかの目的がある場合には、本罪ではなく、それぞれの罪によって、重く処罰される。
[名和鐵郎]
営利、猥褻、結婚、生命もしくは身体に対する加害の目的で、人を略取・誘拐する罪であり、1年以上10年以下の懲役に処せられる。未遂も処罰される(228条)。本罪の客体は成年・未成年を問わないが、上記いずれかの目的を必要とする。「営利の目的」とは、労働の強制や、略取・誘拐行為に対する報酬の取得などにより、犯人または第三者が財産的利益を得る目的であるが、身代金目的略取誘拐罪との関連で、身代金取得の目的は除かれる。また、「猥褻の目的」とは、被害者に対して猥褻行為や姦淫(かんいん)行為をしたり、性風俗店でいかがわしい行為をさせたりすることをいう。「結婚の目的」にいう結婚とは、法律婚はもとより、事実婚をも含む。なお、本罪およびその未遂罪のうち、猥褻・結婚の目的で略取・誘拐した場合には親告罪である(229条)。
[名和鐵郎]
「近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じてその財物を交付させる目的」で、人を略取・誘拐する罪であり、無期または3年以上の懲役に処せられる(225条の2第1項)。また、「人を略取し又は誘拐した者が近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて、その財物を交付させ、又はこれを要求する行為」も同様である(225条の2第2項)。
「近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者」とは、親子、夫婦、兄弟姉妹、祖父母と孫のような近親関係にある者、婚約者、里親と里子、店主と住み込み店員など近親に類する特別の人的関係にある者のほか、判例は、銀行の代表取締役社長とその幹部、銀行の頭取と一行員についても、「安否を親身になって憂慮するのが社会通念上当然とみられる特別な関係」にあるとして、本罪を肯定している(昭和62年3月24日最高裁判所第二小法廷決定)。また、略取・誘拐された者の解放の代償として財物を交付させる場合のほか、略取・誘拐された者を殺害する等の危害を加えないことの代償として財物を交付させる場合でも本罪は成立する。また、第225条の2第2項の罪は身代金要求罪とよばれ、略取・誘拐時に身代金取得の目的を有していたか否かを問わず、すでに人を略取・誘拐している者が身代金を現に交付させ、または要求する罪である。なお、本罪の未遂犯はもとより、予備罪も処罰される(228条、228条の3)。ただし、生命・身体の安全という政策的観点から、第225条の2第1項の罪につき、公訴提起前に犯人が被害者を「安全な場所に解放したとき」には、その刑が減軽され(228条の2)、さらに、実行の着手前に自首した者についても、刑が減軽または免除される(228条の3但書)。
[名和鐵郎]
「所在国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐」する罪で、2年以上の有期懲役に処せられる。たとえば、日本国内にいる人を日本国外に移送する目的や、日本国外にいる人を所在国外に移送する目的で略取・誘拐すれば足り、現に移送することを要しない。なお、未遂罪も処罰される(228条)。
[名和鐵郎]
人身売買罪とは、人を買い受け、または売り渡す罪である。人を買い受ければ、3月以上5年以下の懲役(226条の2第1項)、未成年者を買い受ければ、3月以上7年以下の懲役(226条の2第2項)、営利・猥褻・結婚の目的、または生命・身体に対する加害の目的で買い受ける場合には、1年以上10年以下の懲役に処せられる(226条の2第3項)。また、人を売り渡せば、1年以上10年以下の懲役に処せられる(226条の2第4項)。所在国外に移送する目的で人を売買する場合には、2年以上の有期懲役に処せられる(226条の2第5項)。さらに、略取・誘拐、売買された者を所在国外に移送すれば、2年以上の有期懲役に処せられる(226条の3)。これらの罪の未遂も処罰される(228条)。
[名和鐵郎]
前述の第224条から第226条の3までの罪を犯した者を幇助(ほうじょ)する目的で、被害者の引渡し、収受、輸送、蔵匿、隠避等の行為をした場合に、それぞれの罪の軽重に応じて法定刑が定められている。「引渡し」とは支配を移転することであり、「収受」とは引き渡されて自己の支配下に置くことをいう。「蔵匿」とは略取・誘拐、売買された者の発見を妨げるべく場所を提供することであり、「隠避」とは蔵匿以外の方法で略取・誘拐、売買された者の発見を妨げるような行為をいう。これらの罪の未遂罪も処罰される(228条)。
[名和鐵郎]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…刑法典の第2編第33章において〈略取及び誘拐の罪〉として略取罪とともに規定されている罪。両者をあわせて略取誘拐罪とも呼ぶ。これらの罪は,他人をその意思に反して自己または第三者の支配下に移して,その移動の自由を制限することを,その本質とする。…
※「略取誘拐罪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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