北海道南西部、太平洋に面する工業都市、また温泉保養都市。1961年(昭和36)幌別町(ほろべつちょう)が登別町と改称、1970年市制施行。名称はアイヌ語ヌプルペッ(水の色の濃い川の意)による。JR室蘭(むろらん)本線、国道36号が沿岸部を走り、道央自動車道登別東および登別室蘭インターチェンジがある。市域は、西部の市役所のある幌別地区と、東部の登別地区に分かれる。幌別の開発は1869年(明治2)仙台藩(伊達藩(だてはん))の一門白石(しろいし)領主片倉邦憲(くにのり)(1818―1886)が家臣150人を入植させたのに始まる。市街地を南流する幌別川沿いに田畑が残るものの、第二次世界大戦後は隣接する室蘭市からの人口流入で住宅地化が進み、幌別駅を中心に商業地が発達している。また北海道曹達(ソーダ)をはじめ、化学、窯業、食品、プラスチック、電子部品・機器の工場などが立地し、面積の狭い室蘭市の外郊的役割を果たしている。登別地区は1858年(安政5)武蔵(むさし)国の大工滝本金蔵(1826―1899)が宿屋を開いたことに始まる。地獄谷を中心とした登別温泉、1キロメートル西方の新登別温泉、北方8キロメートルのカルルス温泉、東隣の白老(しらおい)町域に新興の臨海温泉があり、道内一の温泉郷となっている。登別原始林は国指定天然記念物。面積212.21平方キロメートル、人口4万6391(2020)。
[奈良部理]
北海道南西部の市。1970年市制。人口5万1526(2010)。室蘭市の東に接し,西から鷲別,幌別川河口の幌別,登別温泉を中心とする登別の各地区が太平洋に面して市街地を形成,JR室蘭本線と国道36号線で結ばれている。近世,幌別に松前藩の場所(交易所)があったが,1869年(明治2)仙台藩白石城主片倉氏の家臣150人が移住して以後,幌別を中心に開拓が始まった。室蘭市の製鉄所の発展に伴って市街地化が進み,人口が急増した。道央自動車道,国道36号線が通じ,窯業,金属製品,食品などの工場が立地し,室蘭工業地区の一角を担っている。
標高200mの山間にあり,北海道の代表的な温泉として知られる。泉源は俱多楽(くつたら)湖西方,日和(ひより)山南麓の地獄谷にあり,泉質は緑バン泉,弱食塩泉,硫化水素泉など十数種類。泉温は45~93℃。1858年(安政5)ころ滝本金蔵により湯宿が開かれ,92年の室蘭本線開通後,急速に発展した。日露戦争後は傷病兵の保養地に指定され,旅館からは一般客が締め出されたこともあって,にわか造りの旅館,みやげ物店などができ,温泉街としての形態を整えた。1949年北西にあるカルルス温泉とともに支笏洞爺(しこつとうや)国立公園の一部に指定された。温泉北東部にはミズナラ,クマイザサ群落を中心に各種の広葉樹が混生する登別原始林(天),北西方には羊蹄山や洞爺湖の眺望にすぐれるオロフレ峠(930m)がある。
執筆者:奥平 忠志
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…人口5万6892(1995)。室蘭市の東に接し,西から鷲別,幌別川河口の幌別,登別温泉を中心とする登別の各地区が太平洋に面して市街地を形成,室蘭本線と国道36号線で結ばれている。近世,幌別に松前藩の場所(交易所)があったが,1869年(明治2)仙台藩白石城主片倉氏の家臣150人が移住して以後,幌別を中心に開拓が始まった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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