白河関跡(読み)しらかわのせきあと

日本歴史地名大系 「白河関跡」の解説

白河関跡
しらかわのせきあと

[現在地名]白河市旗宿 関ノ森

阿武隈川支流のやしろ川最上流部にあり、南へ約三キロで栃木県境に達する。遺跡は山間の細長い谷地形にある独立丘陵の頂部から斜面部にかけて立地し、この丘は東西約一四〇メートル・南北約一八〇メートル、比高約一三メートル。丘の上には白河神社が祀られている。国指定史跡。当地は古くからせきもりとよばれ、白河藩主松平定信によって寛政一二年(一八〇〇)に古関蹟碑が建てられている。

東海道菊多きくた(勿来)(現いわき市)、北陸道の念珠ねず(現山形県温海町)とともに東山道の当関は古代奥羽三関の一。承和二年(八三五)一二月三日の太政官符(類聚三代格)に「白河菊多両」とみえ、俘囚の出入りと商人による官納物の買取りを防ぐため、両関の通行取締を長門国関並みにするよう申請し、許可されている。また「置以来、于今四百余歳矣」とあり、当時五世紀前半の設置と認識されていたことが知られる。「河海抄」には延暦一八年(七九九)一二月一〇日のこととして「白河・菊多守六十人」とみえる。蝦夷対策のため設置されたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「白河関跡」の解説

しらかわのせきあと【白河関跡】


福島県白河市旗宿にある古代の関所跡。5世紀ごろに蝦夷(えみし)の侵攻に備えた関門で、奥州に通じる東山道を監視していた。発掘調査の結果、土塁・空堀を設け、これに柵木(さくぼく)をめぐらした古代の防御施設が発見されている。1966年(昭和41)に国の史跡として指定された。太平洋岸の勿来関(なこそのせき)、日本海岸の念珠関(ねんじゅぜき)(鼠ヶ関(ねずがせき)とも)と並んで奥羽三関と呼ばれた。平安時代の中期以後に廃止されたと見られるが、陸奥への入り口として以後も親しまれ、11世紀の歌人能因法師が「都をばかすみとともにたちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」と詠んだ歌などは有名。現在は、白河関の森公園として整備され、文献・古図などによって諸施設が復元された映像館などがある。JR東北新幹線ほか新白河駅から車で約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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