日本歴史地名大系 「白河関跡」の解説
白河関跡
しらかわのせきあと
阿武隈川支流の
東海道の」とみえ、俘囚の出入りと商人による官納物の買取りを防ぐため、両関の通行取締を長門国関並みにするよう申請し、許可されている。また「置
以来、于今四百余歳矣」とあり、当時五世紀前半の設置と認識されていたことが知られる。「河海抄」には延暦一八年(七九九)一二月一〇日のこととして「白河・菊多
守六十人」とみえる。蝦夷対策のため設置されたものであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報