改訂新版 世界大百科事典 「念珠関」の意味・わかりやすい解説
念珠関 (ねずがせき)
越後と出羽の国境にあった関所。東山道筋の白河関,東海道北端の勿来(なこそ)関とともに,奥州三関として知られた。658年(斉明4)創設の都岐沙羅柵(つきさらのき)を出羽国建国後に整備したものとみられるが,11世紀の歌学書《能因歌枕》記載の〈ねずみの関〉が文献上の初見である(ただし歌は未詳)。
保元の乱の後に,源為朝が〈基衡(もとひら)に念誦の関を固めさせ〉再起するよう父為義に勧め(《保元物語》),1187年(文治3)源義経が〈念珠の関〉から大泉荘大梵字を通って平泉に逃避行した(《義経記》)といわれ,また翌々年源頼朝の動員した比企能員(ひきよしかず)ら北陸道軍が8月13日〈念種関〉から出羽に打ち入り平泉将士を破ったという(《吾妻鏡》)。戦国期には上杉氏が〈鼠ヶ関〉往来者から役銭を徴したとも伝えられる(《羽源記》)。越後と庄内間の道は,雷峠越え木野俣通りと堀切峠越え小国通りの山中街道もあるが,海岸通りの念珠関は長い間要地を占めた。山形県鶴岡市大字鼠ヶ関がその跡地に比定されている。
執筆者:遠藤 巌
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報