白河関(読み)しらかわのせき

精選版 日本国語大辞典 「白河関」の意味・読み・例文・類語

しらかわ‐の‐せきしらかは‥【白河関】

  1. 古代、東山道陸奥国への関門として、下野国(栃木県)との境に置かれた関所。勿来関(なこそのせき)念珠(ねず)ケ関とともに奥州三関の一つとして知られた。福島県白河旗宿付近にあったといわれる。能因法師の歌で名高い。歌枕。しらかわ。
    1. [初出の実例]「関は、逢坂。須磨の関。鈴鹿の関。岫田の関。しらかはのせき」(出典:枕草子(10C終)一一一)

白河関の語誌

( 1 )関の創設は、五世紀にまでさかのぼる。奈良時代の蝦夷征討には軍事行動の要衝となったが、平安中期以降はその役割は衰退する。
( 2 )能因法師の歌を契機に、ここを越えると陸奥であるという特別の感慨から都人にとって憧れの歌枕となっていった。その後、ここを訪れた芭蕉の「奥の細道」によって俳枕としても定着していく。

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百科事典マイペディア 「白河関」の意味・わかりやすい解説

白河関【しらかわのせき】

古代東山道陸奥国入口に置かれた関所。東海道の菊多(きくた)関(勿来関),北陸道念珠(ねず)関とともに奥羽三関の一。現在の福島県白河市旗宿(はたじゅく)地内に比定。比定地は阿武隈川の支流社(やしろ)川最上流部の丘陵上で,栃木県境は南へ約3km。発掘調査で二重の柵木に囲まれた平安時代の竪穴住居群ほか掘立柱建物跡群・鍛冶工房跡などが発見された。国指定史跡。835年の太政官符に〈白河菊多両【せき】〉とみえ,俘囚出入り商人の官納物買取りを防ぐため,白河・菊多両関の取締りを長門国関並みにするように申請,許可されている。なお関の設置は同官符の頃には,5世紀前半と認識。また《河海抄》には799年のこととして〈白河・菊多【せき】守六十人〉とあり,蝦夷に対する備えとして設けられたのであろう。平安時代には歌枕として高名となる。12世紀に当関を越えた西行源頼朝は,能因の〈都をば霞とともに〉の歌に思いを馳せたが,この頃には関としての機能は失っていた。その後一遍宗祇・道興准后など多くの文人・宗教者が当関に至り,〈みちのく〉の入口に到達した感慨を歌に詠み文章に綴った。こうした〈みちのく〉の入口,関東の果てという境界認識は後代に引き継がれ,《おくの細道》で芭蕉は〈白川の関にかゝりて旅心定りぬ〉と記している。なお白河市白坂(しらさか)にも当関の擬定地がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「白河関」の意味・わかりやすい解説

白河関 (しらかわのせき)

東山道で下野から陸奥に入る入口に置かれた関所。現在の白河市旗宿に比定される。勿来関(なこそのせき)(現,福島県),念珠関(ねずがせき)(現,山形県)と並んで〈奥州三関〉と称され,ともに蝦夷対策のために設置されたものだろう。平安時代の835年(承和2)12月3日の太政官符に登場するのが史料上の初見だが,その中に〈剗(せき)(関)を置きて以来,今に四百余歳〉とあるから,すでに奈良時代には設置されていたと推定される。関としての実質は平安後期には失われていたらしい。西行が〈白河の関屋を月のもるかげは人の心をとむるなりけり〉という歌を,関屋の柱に書き付けたのが事実なら,平安末には関屋も廃墟となっていたと思われ,近世になると関の所在地も不確定となった。一方,能因法師の歌で代表されるように,歌枕としての白河関は都でも有名で,また白河を関東と奥羽との境界とする観念は,近代に至るまで根強く存在した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白河関」の意味・わかりやすい解説

白河関
しらかわのせき

古代奥州の南の関門。福島県白河市旗宿(はたじゅく)所在。835年(承和2)の太政官符(だいじょうかんぷ)によれば、400余年前、すなわち5世紀の前半ごろ蝦夷(えぞ)対策のために設けられたとある。東山道(とうさんどう)口の奥州の関門として、東海道口の菊多関(きくたのせき)(後の勿来関(なこそのせき))と並んで有名であった。『今昔(こんじゃく)物語』によれば、平安時代にも厳重に出入りを取り締まっている。最近、発掘によって、関跡推定地に柵(さく)列に囲まれた施設跡を発見し、関跡として確定された。歌枕(うたまくら)として有名である。

[高橋富雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白河関」の意味・わかりやすい解説

白河関
しらかわのせき

福島県白河市の南部,旗宿にある関址。5世紀頃,蝦夷の南下を防ぐために設けられ,勿来関 (なこそのせき) ,念珠関 (ねずがせき) とともに奥羽三関と呼ばれ,能因法師の和歌でも有名。 1959~63年発掘調査を行なった結果,土塁,空濠を設け,柵木をめぐらした古代防御施設の跡を発見,平安時代初期のものと思われる土師器なども出土した。寛政年間 (1789~1801) 松平定信が建てた「古関蹟」の碑が立つ。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「白河関」の解説

白河関
しらかわのせき

白河剗とも。陸奥国におかれた関。東山道を扼(やく)した念珠(ねず)関・勿来(なこそ)関とともに奥州三関の一つ。835年(承和2)12月の太政官符によると,設置からこのときまで400年余をへていると伝えるが,確実な設置時期は不明。1959年(昭和34)から比定地の一つである福島県白河市旗宿(はたじゅく)の関ノ森地区で発掘調査が開始された。その結果,空堀・土塁や柵列によって区画されたなかに掘立柱建物群跡,工房とみられる竪穴住居跡が検出され,白河関跡として国史跡となる。

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世界大百科事典(旧版)内の白河関の言及

【関所】より

…すなわち律令国家は中心に京・畿内,その周囲に一般諸国,さらにその遠方に化外の地がひろがるという同心円的地域区分を有していた。三関は畿外の国に位置するが基本的に畿内と畿外を区切る性格を有し,摂津関もこれに准じ,辺要の東の蝦夷地との境には陸奥国白河関,菊多関(これらは835年(承和2)長門関と同ランクになった)が,西の大宰府域との境界には長門関が置かれ,これらは地域区分の象徴的役割をはたし,(1)(2)ランクとして重視されたのである。 関は基本的に国境におかれ,他国への不法移動である浮浪・逃亡の防止という警察的機能を有した。…

※「白河関」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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